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出ました。

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年11月 3日(木)19時01分23秒
返信・引用
   荷風先生! 我が生涯の師。
 これぞ理想の姿であります。

 傾注するが「淫」しない生き方。酒女仕事まるっぽであります。
 淫すると主体が客体にからめ捕られるのであります。特に家族なる
 からめ捕りの名人がいるので捨てる訳であります。

 さて今から大石が造ってくれた一人鍋のすぐれもの(しんのじ氏も所有)
 で湯豆腐でもするか、寒いよって今夜は。でフラリと巷の女どもと
 戯れに行こう。
 
 

異説

 投稿者:しんのじ  投稿日:2016年11月 2日(水)23時30分21秒
返信・引用
  連投すみません。

NSA(米国国家安全保障局)vs クリントン陣営のなれの果て、という説も。

NSAがヒラリーのメールをチェックし、意図的に漏洩した。エクアドル大使館
に身柄を保護されていたウィキリークスの創始者アサンジ氏が暗殺されたと
いうキナ臭い説も出ています(クリントン氏陣営の仕業とされている由)。

ウィキリークスとNSAの関係が、今一つわかりません。NSAはウィキリークス
の力を借りていたのか?それともNSAが、ウィキリークスに機密情報の意図的
漏洩をもちかけたのかは僕は理解できていません)。

いずれにせよ、クリントン陣営 vs 最高レベルの国家諜報機関との暗闘があり
そうな気はしますが。

暗殺説、色んなソースを辿りますが、確証はとれません。
 

もしかして・・・

 投稿者:しんのじ  投稿日:2016年11月 2日(水)19時36分27秒
返信・引用 編集済
  対ロシア?

って説が、エキサイトの翻訳記事にありましたけど・・・。

10月初旬に、全米各所へのサイバー攻撃が行われた際、その黒幕がロシア
政府とアメリカ側が断定したことに、ロシア側が強い憤りを覚えており、
何か機会があればと反撃を狙っていて、その影響が少なからずあったとか。
でも、それにしても矛盾だらけですが・・・。
 

クリントンは切られたのか?

 投稿者:まつを  投稿日:2016年11月 2日(水)18時44分22秒
返信・引用 編集済
  どうにも分かりません。

ニュースが伝えるところによると、
世論調査でトランプ指示がクリントンを上回ったらしい。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/11/post-6173.php

その大きな原因は、クリントン氏の電子メール問題らしい。
http://jp.wsj.com/articles/SB10200540860194693704004582409024126687782

米連邦捜査局(FBI)が新たな検証を行うという発表が
こうしたことをもたらしているようだ。
この時期に、このニュースを流したという事実。

大統領選挙の開票は11月8日。
http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_int_america-topelection2016schedule


 

すべての

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年11月 1日(火)12時52分13秒
返信・引用
  表の全欧州地図を見ながら、我師(私淑)小田島雄志氏は、

・すべての無知はノロマに通ず

・老婆は一日にして成らず

とダジャレを飛ばしていた。が時には真面目な?ダジャレも云っていた。

「その道に苦労するのが玄人 その道を知ろうとするのが素人」
 

そうでしたか。

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月30日(日)14時43分45秒
返信・引用
   thomさん、不思議な縁ですね。
 若いころの傷の一つや二つ、どうってことはありません。かえってthomさん
 みたいに情の深い男を造るもんです。
 不肖散人も学生時代留置場にぶち込まれてました。
 もっともそんなに情は深くありません。一回では足りなかったんでしょうかネ。
 

Re: ヤクザと港湾

 投稿者:thom  投稿日:2016年10月30日(日)07時33分21秒
返信・引用
  > No.20004[元記事へ]

散人さん

その息子さんが高校の一つ上の先輩。

残念ながら少し前に、檻の中に入ったという新聞記事を読みました。

私と同じ若松高校の留年組で、同級生からさん付けで呼ばれていました(汗)

あぁ、穴を掘ってでも入りたい過去が次々に想い出されてきました。
 

Re: ヤクザと港湾

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月29日(土)15時52分7秒
返信・引用
  > No.20004[元記事へ]

田屋敷酒散人さん
またまたまた(笑)。
 

ヤクザと港湾

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月29日(土)15時16分24秒
返信・引用
   私が所属していた劇場の先輩に「玉井英気(ひでき)」という方がいました。
 同じ九州出身で気が合いお酒を飲むようになり、玉井さんが実はあの小説
 「花と竜」や「麦と兵隊」を書いた「火野葦平(あしへい)」の次男だと
 教えてくれた。

 火野葦平、本名 玉井勝則は北九州若松の沖中士を束ねる「玉井組」の組長
 玉井金五郎の長男として生まれた。
 筑豊から運ばれてきた石炭を若松港で受け取り沖の船まで運び込む労働者を
 石炭仲士又の名を「ごんぞう」と呼んでいた。
 作家 火野葦平は若松「玉井組二代目」も兼ねていた。

 先輩の玉井さんは「俺はオヤジの原作のカタに会社に抑えられている」と悲しげに
 話していた。玉井さんにはこれといった仕事はなかった。
 

Re: お国のもの

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月29日(土)11時25分18秒
返信・引用
  > No.20002[元記事へ]

thomさん

なるほど。
これは分かりやすい。理解しやすいですね~。
さすがです。ありがとうございます。
「2016_10_25
 舟所有の文化が華開かなかったのは鎖国が原因ではない」
に謹んで加えさせていただきました。
 

お国のもの

 投稿者:thom  投稿日:2016年10月29日(土)10時20分35秒
返信・引用
  日本では海と海岸と港は全てお国のものなのです。不開港制度が今でも生きています。

特に外国船に対しては非常に厳しく、CIQと言って税関(Customs)出入国管理(Immigration)
検疫(Quarantine)のお役人様が目を光らせています。そのおかげで日本のヨットがアメリカに
行くと、食べ物はほとんど取り上げられ、色んな名目で金も取られて「これも君の国の不開港
制度のせいなんだ、悪く思わないでくれ」と言われます。

前述のCIQはもちろん、国土交通省や水産庁に海上保安庁、それらの天下り団体の皆様方は言います。
海は漁業や海運のためのもので、国の立派な事業なのだ。だから庶民が舟あそびをするなど許さん(笑)


ヨットにすっかりハマってしまって、今では年間50日以上を船で過ごすようになり、旅の船とふれあい
外国人も含めて色んな方から海に関する話を聞かされるうちに、日本の海に関しての現状が見えて
きて、日本人として情けないことしきりです。我が北九州では漁協とヤクザと警察と空港港湾局の
キナクサイやり取りが日常化してるし。


これとは別に、有明海には天然の良港が殆ど無い事も理由の一つではないでしょうか。
口之津から石炭が輸出されていたのも納得です。

 

Re: 若干追記、訂正、

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月29日(土)07時21分44秒
返信・引用
  > No.20000[元記事へ]

しげ@させぼさん
了解しました。
加筆・修正いたしました。
 

若干追記、訂正、

 投稿者:しげ@させぼ  投稿日:2016年10月29日(土)06時44分56秒
返信・引用
  まつをさん

佐世保という土地柄でしょうか、私の職場では、6-7人位がボートを所有しています。やはり、皆さん維持が大変そうですね。係留費用は、場所と設備次第ですが2-15万/年と幅があり、漁港係留は安価ですが、設備の整ったマリーナでは、20フィートで15ー25万/年要します。
安心を買うか、コスト優先の違いでしょう。

叔父が、船齢30年以上の28フィートFRP張り木造船(漁船)を所有しておりますが、とにかく遅いです。
最高速がたったの8.5ノットしか出ません。
メリットは、船体が重く、エンジンが船内にあるため非常に安定していて少々波が立ってきても安心して釣りが可能です。これは、とても小型軽量な船外機艇には真似できません。
また、ディーゼルのためA重油が使用できかつ燃費も良いです。


訂正
誤:ヒルトモーター 正:チルトモーター
昨晩は、少々呑みすぎだったようです。失礼しました。
 

Re: 船を持つこと_2

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月29日(土)03時06分29秒
返信・引用
  > No.19998[元記事へ]

しげ@させぼさん
お久しぶりです。書き込みうれしく思います。
しげさんは愛艇をお持ちですよね。

> 維持費用に年間10万円見ておけばお釣りが来ると思います。
> 年間20回以上出航すれば良いのでしょうが10回以下でしたらレンタルのほうが安く付くと思います。

具体的な経費的目安が分かりやすく理解できます。
それと何ものにも代えがたい船がもたらす時間の感覚も。

しんのじさんの話とご一緒に
「2016_10_27
 船を持つこと」
というタイトル立てをしてアップさせていただきますね。
 

船を持つこと_2

 投稿者:しげ@させぼ  投稿日:2016年10月28日(金)21時49分16秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。
しんのじさんのコメントでほとんど語られておりますが、追記です。
現在、20年モノ20フィート、60馬力2サイクルのボートを主有しております。
維持費の主なところでは、係留に、30000円/年、船底塗装15000円/年(DIY)。
消耗品交換に20000円位でしょうか(インペラ、サーモスタット、ギアオイル、プラグ等)
これまで、最もお金がかかった故障は、船外機を持ち上げるヒルトモーターの不良。これには、交換に10万円近く要しました。
他に、燃料(レギュラーガソリン)が釣り一回につき10-20L(燃費2KM/L)
それから、台風のたびに、もやいを点検に行っています。
ほとんど自分でメンテナンスを行っていれば維持費用に年間10万円見ておけばお釣りが来ると思います。
 小型船外機艇は、風波に左右され易く、休日と出航できる日がうまく合致する日は多くありません。
しかしながら、のんびり浮かんで釣り糸を垂れて過ごす時間は何者にも変え難いストレス解消です。そのためにがんばって維持している状況です。
私のボートは、既にかなり古くなりました。最近のボートは、標準で4サイクルの船外機を搭載し、インジェクション仕様。始動も簡単、静か、燃費も良く、充電性能や信頼性も相当向上しています。
所有という観点からみると年間20回以上出航すれば良いのでしょうが10回以下でしたらレンタルのほうが安く付くと思います。
私の場合、完全に赤字ですね。。。

ちなみにこれまでのトラブルですが、、、
最初所有の8馬力船外機、冷却水通路詰まりのため修理不可、9.9馬力船外機へ載せ換え。
プロペラスリップのため交換。
5馬力予備船外機始動不良のため、2馬力船外機へ換装。
60馬力船外機、アイドリング不良のため、キャブレターオーバーホール3回(DIY)
オーバーヒートブザー作動・・・サーモスタット交換
プロペラスリップのため交換。
既出ですが、チルトモーター交換。
こうしてみると結構故障してますね。
全て、自力帰港できたため余り故障の意識がないのかもしれません。
ご参考まで、、、
 

ありがとうございます

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月28日(金)18時31分58秒
返信・引用 編集済
  コメントいただきますことは
このバーの息遣いそのものです。
散人さんのコメントは「天草を巡って」に、
しんのじさんのコメントは「北欧の圧倒的ボート所有率」に
添付させていただきました。合掌
 

なんなんだ!

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月28日(金)15時18分15秒
返信・引用
   温泉獄です  

訂正

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月28日(金)15時17分33秒
返信・引用
  ?泉獄は?泉獄  

鉄幹晶子

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月28日(金)15時16分4秒
返信・引用
   昭和7年に与謝野鉄幹・晶子夫妻はキリシタンの残影を求めて天草を訪れる。

 その後 夫妻は有明海を島原に渡る。途次歌を読む、

 鉄幹  むらさきに?泉獄(普賢岳)は暮れゆけど 夕日けぶれり天草の灘

 晶子  四郎等(ら)の談合の島洗い うへに夕日さす天主あるごと
 

船をもつこと

 投稿者:しんのじ  投稿日:2016年10月28日(金)12時53分14秒
返信・引用 編集済
  まつをさん、過分のお引き立て恐縮です。
また、トップページに香焼の写真を出していただき、まことに光栄です。

さて。マイボート(動力船)の所有は、歴史的にはFRP(ガラス繊維強化
プラスチック)および小型船外機の普及が大きかったと思います。価格、
手軽さ、船足の速さ(同サイズの木造船よりかなり速い)等によって拍車
がかかり、恐らく昭和40年代に一気に広まったのだと思います。漁船自体
も徐々にFRP化が進み、今では木造船は極めて珍しくなりました。

マイボートで気を付けなければならない2つの問題があります。一つは船
底の貝類や海草の付着。係留してあるボートなら、最低でも年2回は貝殻
落としの必要があり、1回/1-2年は船底塗料の塗り直しが必要となるので
す(最近、技術が進歩して変わっていたらすみません)。

また、船外機は時々沖で機関停止を起こします。単にプラグにガソリンが
かぶり過ぎて着火しないに始まり、ビニールごみを吸水口に巻き込んでの
オーバーヒート、腐食による種々の問題、スクリューの破損(材質が柔ら
かいので、浅瀬で砂を巻き込んでも簡単に曲がってスピードが激減する←
体験済みです(笑))。

そういうことを知っている、沖によく出る人は、小型の緊急用船外機をサブ
で取り付けたり、2機がけ(効率は少し落ちるが安全度重視)で対応します。

船外機ボートは、使うのは簡単ですがトラブルは少なくないし、日々のメン
テも結構必要なので、係留して滅多に乗らなかったりすると、テキメン駄目
になってしまうものなのです。

なので、マイボートは、所有したらまめに乗り、まめにメンテしない限り、
全く無駄なものになり得ます。更にお金をかけ、マリーナに陸置きすれば
若干問題は軽減しますが、後は財布次第ってことになります。

ということで、しょっちゅう乗らない人は、マイボートを持つメリットは、
今の日本のシステムではほとんどない。この事がより一層の普及にブレーキ
をかけているのでしょう。ヤマハなんかは、クラブ制で比較的安価に運動性
能の良いモーターボートをレンタルするシステムをもっています。時々だが
乗りたいという人には、このシステムがベストかもしれません。
 

Re: 海に還る

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月27日(木)01時02分25秒
返信・引用
  > No.19990[元記事へ]

しんのじさん

心のこもった文章ですね。
謹んで表にアップさせていただきます。
 

Re: ノルウェーで見た風景

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月27日(木)01時01分10秒
返信・引用 編集済
  > No.19989[元記事へ]

グッドマンさん
これは説得力のある書き込みを有難うございます。
こんな地形であれば、他地区に出れば舟がいりますよね。

これとよく似た地形が島原半島の南部にあります。
上が口之津、下が小浜から串山地域。
ここは今でこそ海岸沿いに道が通っていますが、
行ってみればお分かりのとおり、俊敏な山が海に落ち込んでおり、
かつては舟なしでは他地域との交流ができなかったでしょう。
なのに舟文化が根付かなかった不思議。
こうなってきますと民族性の違いというべきでしょうか。

某知人のお母さんは生月山間部に住んでいましたが、
生涯海を見ることなく終わられたという話を思い出します。
 

海に還る

 投稿者:しんのじ  投稿日:2016年10月26日(水)22時03分26秒
返信・引用
  僕の人生で、一種の羨望をもって強く脳裏に刻まれる死に方をした、ある
男の人の話をしよう。男の名はMという。彼は、僕が高校卒業まで暮らして
いた香焼のある小さな湾沿いに家を構え、うちから数軒先に住む、物作り
が大層上手な初老の男だった。

会社勤めを終え、好きなことをして悠々と暮らす、寡黙で少々人嫌いの彼は、
海から拾ってきた海藻で堆肥を作り、自家用に見事な野菜を育て、また流木
や打ち捨てられた漁具を収集しては、息を飲むような手漕ぎボート(筏と呼
ぶには立派すぎるほどの出来栄え)を拵え、晴れた日には、陸から見えなく
なるほど遠くまで漕ぎ出し、見事な釣果を挙げて帰還することもしばしば。
我が家もMさんからの大量の魚のお裾分けを頂戴した事が、一度や二度では
なかった。

ある日、忙しく研修医として走り回っていた頃だと思う。母から知らせが入
り、Mさんがご自慢の手製の舟から落ちて亡くなったという。喪服を用意し、
ご自宅での葬儀に参列した。懐かしい近所の人が集まって、口々にあの人ら
しいと静かな声で囁き合っていた。つい僕も父に、「羨ましい死に方やね」
と不謹慎にも言ってしまったが、「最高やろうなあ・・・」とまともに返っ
てきたのは少々びっくりしたが、同時に少し嬉しくもあった。あの日、少し
曇った空の先には、幼い頃から馴染んだ香焼の海が広がっていた。

小さな頃は、海で拾った発泡スチロールで帆掛け船を作って競走させるのが
鬼ごっこと並んで日常的な遊びだったし、海の廃品で造った筏に乗るのが夏
の楽しみだった(母をはじめ大人達からは危ないといつも怒られていた)。
親の目を盗んで、針で突いたらすぐに破れそうな粗末な一人用ビニールボー
トを漕いで島の裏までこっそり回り込み、尺ギスや大カワハギを釣って意気
揚々として帰ったのも良い思い出。

亡き父とは3人乗りの船外機ボートに始まり、ついには小菅に23フィートの
フィッシングボートを置くに至るも、お互い忙しくなって、さほど一緒に釣
りに行く機会はなかった。でも、個人的な話になるが、どうしても主治医の
面談を拒否し続けた父に、迷いに迷った挙句、末期癌の宣告を行ったのは、
釣りにかこつけて小船で出かけた帰り、忘れもしない、その夏初めて蝉が鳴
いた7月1日の夕刻近くだった。

そして今は、細長い小舟に乗っている。どうしても海から離れられない自分
がいる。叶うことなら、最期は海に還りたいと願っている(事故死でない形
で)。もちろん父の遺骨は一部海に散骨した。彼が愛した最後の職場、佐世
保の九十九島の海と、愛して止まなかった香焼の海に。
 

ノルウェーで見た風景

 投稿者:グッドマン  投稿日:2016年10月26日(水)21時12分8秒
返信・引用
  写真はノルウェーでフィヨルド観光をしたときのものです。フィヨルドに面して小さな集落が点在しており,
その後ろは切り立った崖や急な斜面だったりします。こうなると,ボートは生活の足として必需品になるわけで,
所有数が多いのも当然かと思います。
 

Re: けっこう持っている。

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月26日(水)18時18分43秒
返信・引用 編集済
  > No.19987[元記事へ]

恐るべし、日本で北欧的ライフスタイルを楽しめる島原。
ボートが持てる。夏小屋が持てる。
空気はうまい。水はうまい。魚はうまい。野菜も抜群。

そう、まず人が多すぎるところは、
豊かさの価値観がおかしくなるんですよね。

散人さんの島原と北欧の共通点は、
その一、人口密度が低く、自然が豊かで近い。
その二、時間的に調整できるライフスタイルを持ってる人が多い。
ただ相違点は、もやい料(係留リ料)がスウェーデンの湖や田舎の海ではいらないこと。
 

けっこう持っている。

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月26日(水)18時06分37秒
返信・引用
   自家用舟に関して云えば島原の友達は今数えても五人はいます。
 定まられた場所に年間のもやい料(係留リ料)を払えばいいそうです。
 彼らはみな釣りが趣味で舟まで購入したそうです。

 ただみな自営業で時間が自由に使える立場で、勤め人は土日に限られる
 ので難しいのではないのでしょうか。
 

口之津

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月26日(水)17時16分1秒
返信・引用 編集済
  >三井三池の石炭が口之津港から輸出されていたことを知りました

じだらくさん、それこそが長崎港が衰退していった原因の一つでした。
1889(明治22)年に九州で算出した石炭の輸出港に、口之津ほか4港が加わったんです。
これによって長崎港からの石炭積出漁が減少したんですね。
え、長崎港から石炭を積み出してのかって?
この写真をご覧ください。「長崎港ニ於ケル汽船石炭積込ノ景」(九大コレクションから)
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/recordID/403385
 

海の方々

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月26日(水)17時08分20秒
返信・引用
  thomさん、しんのじさん、
そろそろ、舟の話いきますよ。
ご意見をお聞かせくださいね。
 

Re: キャンプの件2

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月26日(水)06時49分27秒
返信・引用
  > No.19983[元記事へ]

じだらくさん

> 12月忘年会キャンプとなりそうですね。(笑)

ですね~。
こわいなあ。そんな体力残っているかなあ(笑)。
 

キャンプの件2

 投稿者:じだらく  投稿日:2016年10月25日(火)21時26分46秒
返信・引用
  12月忘年会キャンプとなりそうですね。(笑)
ひょっとしたら新年会キャンプってのもありですかね~。
突発的に、できる隙間でやることになるのでしょうねぇ…それもまた面白いのではないでしょうか?
 

ありがとうございます

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月25日(火)18時17分29秒
返信・引用
  散人さん、早速、昨日の並びに添付させていただきました。

大閑道人さん、ご紹介ありがとうございます。
機会があればお伺いしたく存じます。
有明海の縁を取り持つはずの舟の個人所有文化がなぜ花開かったのか
やっと分かりました。考え調べるは楽しですね。
 

島原十三夜

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月25日(火)10時17分3秒
返信・引用
   売春防止法の完全実施は昭和34年、前年の33年に赤線が廃止された。

 それまで島原の港に遊郭が軒を並べて存った。大牟田三角天草からの客で大いな賑わいだっ  た。 散人高2のころ、40年17歳の年、その一軒の元遊郭の娘と割りなき中となった。
 その人は同級生。当時の思い出を詞にしてペコロスさんに提供した。

 「島原十三夜」 詞 散人 曲 岡野雄一 歌 岡野雄一

 十三夜の月明かり 障子窓越しに 部屋ん中ばユラユラ水底にする
 窓ば開ければ有明ん海に 月明かりの一本道キラキラ伸びとって

 オイデオイデ、て手招きばしよると
 「どこまでも手ばつないでこん道ば逃げて行きたかね、
  今夜、二人でこん町(島原)ば出て行きたかね」
 「よかと?よかと? ホントにうちでよかと?」

 遠い遠い夜 思い出す泣き顔よ 十七の恋 島原の夜 十三夜 
 

口之津・玉峰寺の

 投稿者:大閑道人  投稿日:2016年10月25日(火)06時02分49秒
返信・引用
  前住職は、口之津の歴史について、数冊の出版をなさっています。
当方も献本で頂戴しておりますが、一度、お会いしてはいかがですか?

まずは、前住職の奥様にお目通りを願い、
マスターの自己紹介に「大閑道人さんの奥さんの名は・・・」といえば
即座に「OK」でしょう。

また、現住職もなかなかの才人です。
 

ごめんなさい

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月24日(月)23時04分24秒
返信・引用
  >キャンプの件 11月12日(土)~(日)はいかがでしょうか?
その夜は別件先約が入っております。申し訳ありません。
10月5日(土)~6日(日)はいかがですか?
 

口之津港

 投稿者:じだらく  投稿日:2016年10月24日(月)22時03分10秒
返信・引用
  鹿児島からの帰り道、長島~牛深、鬼池~口之津と初めてフェリーで長崎に帰ってきた時に口之津の資料館に立ち寄りました。三井三池の石炭が口之津港から輸出されていたことを知りました。海を結ぶ道っていうのは陸路が整備される以前は大変重要だったんでしょう。戦前、父が長崎から雲仙に行く時はペンギン水族館のある網場がら小浜まで船で渡って行ったということを聞いたことがあります。海上の交通路という視点から考えてみると現在の認識とはまったく異なる世界観が見えてくるのでしょうね。
以前は茂木からフェリーに乗って富岡まで釣りに行ったりしたこともあります。有明海の航路はほんの少しの距離なんですね…。
業務連絡 キャンプの件 11月12日(土)~(日)はいかがでしょうか?それ以降は寒さ対策が十分に必要でしょうけれど、自分としては寒いほど焚火の有難さか感じられるのでそれはそれでいいのですが…。
 

有明海

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月24日(月)18時05分46秒
返信・引用 編集済
  散人さん、ありがとうございます。

大閑道人さん、一緒に思索しましょうよ~。
 

哀悼 平さん。

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月24日(月)14時50分32秒
返信・引用
   平幹二朗さんが亡くなった。

 1960年代から舞台・映画・TVと55年間もほぼ主役を張り、そのことごとくが
 水準以上の出来栄えだった。戦後スターは石原裕次郎、勝新太郎、高倉健など
 もいるが三部門でのスターは平さんと仲代達矢だけだろう。

 散人はまだ中学のころテレビで「三匹の侍」1963年で始めて平さんを観た。
 「色悪」の二枚目若侍で内に秘めた冷酷さを画面一杯に表現していた。

 その後散人も上京し芝居の世界に入った。1979年帝劇の「近松心中物語」で
 圧倒的評価を勝ち取り、その後蜷川氏とコンビを組みシェクスピア劇に挑んだ。

 観ているものを列挙する。
 王女メディア、マクベス、タンゴ冬の終わりに、オイデイプス王、オセロ、
 リチャード三世、リア王、テンペスト

 私は平さんを観たのだ。姿形、声量、身のこなし、今後平さんを凌ぐ俳優は出て
 来ないだろう。

 合掌。
 

天草島原からゆきさん

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月24日(月)11時04分21秒
返信・引用
   明治中期に所謂「からゆきさん」は東南アジアを中心に約五千人いたといわれる。
 この内半数以上は天草島原出身者であった。とくに島原半島は普賢岳のふもとの
 シラス台地で農耕に適さず、そのうえ台風も多く、農民はとことん貧しかった。

 姉しゃんなぁ どけいたろうか 姉しゃんなぁ どけいたろうか
 青煙突のバッタンフル 唐はどこんねき 唐はどこんねき
 海の果ばよ しようかいな

 口之津港には香港にあるイギリスの船会社バターフィルから石炭の貨物船が
 入港していた。土地の人は外国船をみな「バッタンフル」と呼ぶようになった。
 船底に石炭と一緒に押し込められ、20日あまりの過酷な旅だった。
 

つくしの縁

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月23日(日)13時47分56秒
返信・引用
   「ようけ(たくさん)採れましたんで」と近所のおばさんが春の昼下がり
 土筆(つくし)を新聞紙でくるんで持って来た。「まあまあごくろうさん」と
 母はおばさんを縁側に誘う。振る舞うのはお煎餅とお茶に決まっている。

 女たちを「小池都知事が」とか「扶養手当が」とかテレビで今、蒙昧な
 庶民を無理やり政治とか国家とかの事柄に誘導するが、当時(昭和30年代)
 は一切なかった。季節折々の食材をいかにいい味付けをして家族に振る舞うか
 に腐心していた。それが女の役割だと心得ていたのだ。

 その食材情報をやり取りするのが「縁側」であった。路上の立ち話程度で済む
 のだがそこは近所のよしみ、茶菓ぐらいはと「縁側」に誘う。でことのついでに
 縁談事の話も生じたりする。
 「お宅の看護婦見習いのミヨちゃんと山田の次男とどうでしょうかね?」「うん
 いいかもしれない」なんて話が進行していく。
 良縁に繋がっていくのだ。
 

Re: 縁側

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月23日(日)09時14分42秒
返信・引用 編集済
  > No.19969[元記事へ]

大閑道人さん
縁側って見方を表でやってます有明海沿岸に当てはめると
見えてくるものがありそうな気がするんですがいかがでしょう?

この分野、全くズブの素人なんですが
一緒に学問する楽しみやってみましょうよ。
知らないから、情報を集め考える楽しみって子供に帰ってみたいで楽しい。
 

未だ癒えず

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月22日(土)14時37分4秒
返信・引用
   熊本市内に二泊した。お城近くのホテルは6階から11階までは復旧工事中で
 使用不可であった。お城はと望見するに、とある箇所の石崖は底が抜けたように
 崩れ落ちていた。西郷さんは城落としが不可だったが地震は簡単にやって
 のけた。

 いつものように夜の街に出た。人通りは多い。しかしママたちは口々に地震の
 恐ろしさを云う。あるクラブのママが「あの日以来 娘が私から離れなくなった
 んです」と云う。娘がやってきて云うには、お母さんと離れるのが不安で昼間の
 仕事を辞めてクラブで一緒に仕事をしていると。
 いいだんよ、それでと云ってやるとホワッとした笑顔になった。がんばらなくても
 いいんだよ、とつい嫌いな相田みつお的なことも云った自分が少し恥ずかしかった。

 時々立ちくらみもするの、と云った。時間がね、かかるよ、でもあせらないでね、
 というと、はい、と愛くるしい笑顔を見せてくれた。

 娘よ、君には充分過ぎるほどの時間という名の妙薬がある、こころの傷を癒すのはこの
 時間と母娘の愛の紐帯なのだから。
 
 

Re: 未経験者

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月21日(金)17時29分48秒
返信・引用
  > No.19970[元記事へ]

夕凪さん
了解です。
寝袋だけはご自分の物がいいでしょうから、
行くと決まりましたらご購入を。楽しみです。
じだらくさん、日程を決めてください。お願いします。
 

未経験者

 投稿者:夕凪  投稿日:2016年10月21日(金)13時09分12秒
返信・引用
  寝袋は持っておらず(汗)、本格的なキャンプも未経験なのですが、ぜひ参加させて下さい。

風も雲もない秋の夜空が大好きでございます。

 

縁側

 投稿者:大閑道人  投稿日:2016年10月21日(金)05時57分18秒
返信・引用
  まことに、うまい表現です。言い得て妙。

縁=境界線の、側=直ぐ側。境界の両脇にあるもの。
こっちでもない、あっちでもない。こっちでもあり、あっちでもある。
まさしく「我々(という概念)」で暮らす領域ですね。

サッシ窓が縁側を駆逐した。そして、自他の区分=境界を明確にした。


※ ついでに、この世とあの世=人間を超えたものとを遮断て、人間は、傲慢になりました。
 

Re: 凪待ちにて

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月20日(木)18時43分56秒
返信・引用
  > No.19967[元記事へ]

夕凪さん

> 仲間とウェイクボードに夢中だった

あ、そうでしたね、ウェイクボードやってらしたんですね。
そうかあ、海ってますねぇ。
アウトドアの資質ありと思いお尋ねですが、
10月~11月にキャンプに行こうかって話してるんですが、
ご一緒にいかがですか?
たとえば田代原。
http://nagasaki-netradi.sakura.ne.jp/outdoor2/2001/9tasirobaru/ristorantetasirobaru.htm
いかがでしょう。寝袋とかお持ちでしょうか?
 

凪待ちにて

 投稿者:夕凪  投稿日:2016年10月20日(木)00時12分18秒
返信・引用
  しんのじ様。初めまして夕凪ともうします。

シーカヤックの高さから見る波や夕日も、とても綺麗なのではないでしょうか。

仲間とウェイクボードに夢中だった頃、日がな凪待ちをしていました。

凪待ちの時間も含めて海の醍醐味として楽しんでいたことを思い出し、慕わしい仲間たちに集合を呼びかけてみたくなりました。


皆様にも、それぞれの夕凪がおありで、手前は勝手に共有体験をさせていただいた次第です。

海はたくさんの事を繋げてくれます。
 

凪待ち

 投稿者:しんのじ  投稿日:2016年10月19日(水)08時42分8秒
返信・引用 編集済
  狂ったように週末の度にシーカヤックを漕いで方々の海に繰り出していたあの頃。
つい無理をして出発したら、案の定、昼前には波高が高くなっていき、辺り一面
に兎が跳んでいる(と、舟漕ぎはちょっと荒れた海を言います)。

たぶんしばらく荒れるから凪待ちしようと、岬や無人島に逃げ込んで何時間も、
ゆっくりと飯を作ったり、仲間連れだとよもやま話に花を咲かせ、風と波を気に
しながら、ただひたすら落ち着くのを待つ。

だいたい多くは午後4時頃か。ピタッと風が止み、海が穏やかになる時間帯が訪れ、
ホッとして、急いで舟を出し、出航地に舳先を向け、帰路を急ぐことが年に数回
あったと記憶しています。ひとえに天候の読みが甘かったせいなのですが、手も
ち無沙汰でぼんやりと海と空を長いこと眺めるあの時間が、今思うと何とも贅沢
で貴重なひと時でした。

そして今、夕凪さんがいらっしゃいました(笑)!って、笑っちゃいけませんが
中年男の下手なフリとご一笑下さい。ということで、夕凪って、僕にとってすご
く大好きな言葉ということを言いたかったわけなのです。うっすら夕焼けが辺り
を包む頃、出航地が見えてきて、ああもう舟から降りなければならないんだなー、
ちょっと無茶したけど楽しかったなー、などと考えるでもなく頭に浮かぶ中、気
がつくとビーチはすぐそこ。ああ、そろそろ海の成分が枯渇している、漕がねば!
 

夕凪さんか

 投稿者:まつを  投稿日:2016年10月18日(火)22時54分33秒
返信・引用 編集済
  いい名前です。
どうぞここの常連になられてください。
与太話こそBarのおもしろさ。気楽に書き込んでくださいね。

あの店はかつて中央市場にあったのですね。
そのことを知って、明確に思い出しました。
30年前に私はあの店にしばしば行っていました。
たしか、そうおぼろげですが、もんじゃ焼きを初めて食べたのはあの店でだったかもしれません。
 

秋の夜長は

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月18日(火)15時20分13秒
返信・引用
   捨兄のフランケンシュタインの靴の話は何も足の筋肉低下だけでなく、近頃
 人工知能たるネットの情報だけ探索する輩の脳の筋肉低下の話でもある。
 ここはやはり面倒でも老眼近づけ活字を追うことで脳を刺激する作業、即ち
 読書せねばならない。

 という訳で刊行されたのは知っていたが東京書籍発行の「昭和天皇実録」一、二
 巻を贖った。刊行時定価二千四十円が古本で九百円、届いて驚いた美麗本である。
 義理で買った人が直ぐに売ったものだろう。

 一巻700ページを越す長尺もの、この秋はこの本と寒さを凌ぐこととしよう。
 

侠客?

 投稿者:田屋敷酒散人  投稿日:2016年10月18日(火)13時33分49秒
返信・引用
  表に拙宅が紹介されて恐縮であります。

侠客、と云っても直ぐ「お金」で転ぶ田舎侠客の話です。

対岸(有明海)の大牟田三井三池炭鉱の労働争議(S34年~35年)の折、
島原の侠客連はお金で雇われ、スト破りにポンポン舟に分譲し彼の地へ向かった。

向かったはいいが所詮思想もなにもないお駄賃欲しさの田舎侠客たちは屈強なる
炭鉱労働者に完膚無きまでに打ちのめされ虚しく島原に帰還してきた。

ある日散人が小学校から我が家に帰ってくると「う~ん、う~ん」と呻き声が
聞こえて来た。何事かと玄関を開けると上がり框の板張りの上に5、6人が
包帯のぐるぐる巻で転がっていた。

父は戦前軍医だった、軍医は外科が中心であった。「あいつらは板張りで寝かしとけ
ばいい、畳の上は贅沢じゃ」と大牟田で返り討ちにあった田舎侠客たちを指差して
云った。
 

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