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歪められた歴史

 投稿者:まつを  投稿日:2021年 2月 8日(月)04時38分47秒
  通報 返信・引用 編集済
  これまでのこちらの書き込みを整理してみました。



●花月 龍馬の刀傷 はウソ

散人さんのコメント

人気で長崎が賑わうのは喜ばしいことではあるが、嘘はいけない。花月の柱の龍馬の斬り跡は嘘である。
代々花月を経営してきた山口家十七代 山口雅夫氏による著書「長崎丸山花月記(正・続)」。
この本に、「建築的には三代に別れる。遊女屋疋田屋と、料亭花月と、そして明治になってからは丸山の大火で全焼した花月」とある。
えっ! 丸焼けになって柱だけ焼けず残ったんかいな?


まつをのコメント

「長崎丸山花月記」P.21から
現在の花月の建物は明治初年に建てたものだそうである。私の祖父の話では、小島の養生所の医学
生連中が登楼して、酒に酔って刀を抜いて新築したばかりの座敷の床柱をキズつけたので父(山口家
十四代山口繁左右)が大そう立腹して、厳重に抗議したが誰が切りつけたのかとうとう下手人は判ら
なかった。
この話は私が祖父から直接聞いている真相であるだが、私の母が或る日、平重次さんに話のはずみ
で坂本龍馬が切ったと言ってしまった。
今日では誰も疑う者はなくなっている。花月の客呼びの一語題となって、大いに役立っている。

この書籍は長崎市立図書館で閲覧もしくは借りることができる。



●具雑煮 島原の乱ルーツ説 はウソ

まつをのコメント

近年、島原の姫松屋などが「具雑煮は天草四郎にルーツあり」とウソッパチ説で売らんかなのために歴史捏造しているのは、故郷が辱められているようで許しがたい。


散人さんのコメント

原の城に立て籠もりし農民三万余人。松倉氏の苛斂誅求に意を決して蜂起。
当初は多少の食糧ありしも籠城三か月に及び、それも底を尽き、
海藻木の根を食うに及び窮し、寄せての食糧狙いの総攻撃を開始、
寄せ手の総大将「知恵伊豆」は「敵の食糧尽きたり」と看破せり、
敵の数倍の兵勇みて原の城に侵入し、農民皆殺しに遇う。
戦い終わりて幕府軍城内点検するも食糧らしきもの皆無なり。

(散人さん、申し訳ありません。この資料はなんでしょうか? お手数をおかけしますがご教示願えれば幸いです)

「具雑煮」なんてそんな上等な代物、籠城農民の誰が食ってるか!
三万の死者を愚弄するのも程がある。手前の商売の宣伝に死人に口なしの便法を使うな。



まつをのコメント

『島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起』神田千里 著によると、島原の乱の際の食料状況は次のとおりである。


乱勃発時の食料状況

寛永十四年(一六三七)が飢饉だったのは事実である。肥後国では大飢饉で人々は山野に自生
する草木の根や葉を食料にしたという(『相良家年代記』)。熊本藩主細川忠利はこの
年正月に「国々は困窮し、耕作も収穫のない厳しい状況なので、人々はことごとく本
国を離れ、日用稼ぎ (一日のみの臨時雇い) に出向いているので、田畑は荒れはてて
しまった」と述べている (『綿考輯録』)。オランダ商館長として平戸にいたニコラ
ス・クーケバッケルは、松倉勝家が「領民には取れる限りの税を課し、彼等は殆ど餓
死寸前で、僅かに木の根、草の根で命を保っていた」と日記に記している。「木の
根、草の根」で露命をつなぐという惨憤たる状況であった。
(40ページ)

乱終結寸前(2月23日)の食料状況

一方、生捕りにした者たちが言うには城内に米はなく、
大豆・胡麻などを食べ、鎮圧軍方の船が出ない悪天候の日はわかめなどを取
って食べているとのこと、一揆方の戦死者の腹を割いて検分したところ、はぼ生捕り
の者の供述通りであった(『島原日記』)。また同じ報告の中で、大半が大豆・胡麻し
か食べられない中で、腰に米をつけた一揆の戦死者や、焼き飯を携帯した戦死者がい
るのは不思議である、と信綱らは報告している。さらに生捕りにされた者が、主だっ
た者はまだ米が食べられるが、下々の者の大半は餓えていると供述したと、同日の別
の報告に記している(同上)。
(213ページ)


島原の乱は、寛永14年10月25日(1637年12月11日)勃発、寛永15年2月28日(1638年4月12日)終結。




●島原の子守歌 は盗作

散人さんのコメント

 沖の不知火 沖の不知火
 消えてはともる
 バテレン祭の バテレン祭の
そう、これは島原の子守歌。しかし……

昭和56年8月16日の毎日新聞全国版に、「島原の子守歌は盗作? 山梨民謡とそっくり」の見出しが出た。
前半のメロディが山梨県韮崎地方の民謡「縁故節」と同じである。残念ながら認めざるを得ない。


参考資料:縁故節と島原の子守歌 山梨 縁故節が島原の子守歌へ




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