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[758] 現憲法における天皇について

投稿者: 針原崇志 投稿日:2019年11月17日(日)23時22分48秒   通報   返信・引用

伊那さん、こんばんは。

いただいた返信の中で、ちょっと気になったのですが
国号に「大」を付けるのに国際的な承認など必要だったのでしょうか?
私は、名乗りたければ勝手に名乗れるものだと思っていました。
でないと、大韓帝国や大韓民国が「大」・・・(以下、自主規制)
もっとも、議論の本筋とは関わりのない事柄なので、あえて議論を深めるつもりはありませんが
興味深いお話ですので、もしよかったら、八幡和郎さんという方の見解など御教授いただけると幸いです。

・・・・・

本題ですが
まず、スペイン憲法の条文は、「元首」と「象徴」とが併記されているおもしろい実例として
この両者が相矛盾するもの、相容れないものではないことを分かりやすく説明するために掲げただけであって
このように両方とも明記しなければ無理が生じる、両立しえないなんてことはありません。

たとえば、比較憲法学的には、元首の指標、難しい言葉でメルクマールなんて言ったりもしますが
「この権限を有する者が元首だ」という目印のようなものとして、大使・公使の接受があげられます。
現憲法では、天皇の国事行為の一つとして第7条第9号に規定されている
「外国の大使及び公使を接受すること」がこれに当たります。

いちおう簡単に説明すると
接受というのは、辞書的な意味ではただ単に
【受け取ること。また、受け入れること。「外交文書を接受する」】(goo辞書)とありますが
外国の大使・公使を接受するという場合には
外国から新たに派遣された大使・公使が携えた信任状、つまり
「このたび、この者をわが国を代表する大使として派遣しますので、よろしくお願いします」
という委任状のようなものを、赴任先の国の元首が受け取ることを意味します。

わが国では、信任状奉呈式で知られていますね。
新任の大使・公使が、東京駅から皇居まで
自動車or馬車(選択できるけれども、ほとんど馬車を選ぶとか)で向かい
天皇陛下に拝謁して、信任状を奉呈するというものです。

そのように、相手国の元首宛に発給すべき信任状を、各国が天皇宛に発給しているということは
各国(あの韓国さえも)が天皇をわが国の元首として認めていることを意味し
憲法上、その信任状を受け取るのが天皇の権限と規定されているということは
現憲法においても、わが国の元首は天皇だと定められているのに等しいといえるのです。

伊那さんから
「江戸時代には徳川将軍が接受を行っていたじゃないか」
という鋭いツッコミを入れられそうですが(笑)
あくまでも「現在の国際慣習」ということで御了解願います。

そして、この接受というのは、ただ信任状を受け取るというだけの行為であって
権力的な権限というよりは
その国の顔役、つまりその国を象徴する人物としての役割といえるものです。

そのように、その国の象徴としての役割である大使・公使の接受が
その国の元首であることの目印になっているわけです。
ということは、元首すなわち象徴であり、象徴すなわち元首であるといえるのです。

にもかかわらず
「天皇は元首から象徴になった」とか
「天皇は象徴であって元首ではない」とか
天皇を元首と認めたくない左翼学者が垂れ流している
トンチンカンな謬説がまかり通っているから話がややこしくなってしまいますけれども
現憲法においても、象徴とされている天皇こそ、まぎれもなく元首だといえるのです。

そう考えれば、天皇を象徴とする規定も
けっしてあやふやなもの、単なる情緒的なものではないといえるのではなかろうか、
というのが私の見解です。

・・・・・

一方
>『大日本帝國憲法』は日本の文化で見れば確かに異質だったでしょう、が
>だからこそ我が国は一流国家と呼ぶに相応しい地位を築きあげた事も事実です
との御意見については、全くそのとおりだと思います。

たしかに「異質」という言葉は用いましたが
だから帝国憲法はダメな憲法だ、などと評価するつもりは全くありません。
むしろ現憲法に比べれば、はるかに独立国家たるにふさわしい立派な憲法であると評価しています。

そして、新しい憲法をつくるのであれば
それは現憲法を基調としたものではなく、帝国憲法を基調としたものであるべきだと考えており
その一環として『憲法三原則の呪縛を断つ』を書いた次第です。

とりわけ、伊那さんも以前お書きになっていますが
>日本国民の総意に基づくという事は、総意で廃される程度のものという事でもあります
という点は、私も同じく懸念するところです。

いま手元にある芦部信喜著(高橋和之補訂)『憲法(第六版)』を見ても
全部で18章もある中で、天皇については独立の章すら設けられておらず
「第三章 国民主権の原理」の中の第三節に「天皇制」がちょこっと書かれているだけです。
いかにも天皇が盲腸的な存在であって
「主権者である国民が廃止しようと思えば簡単に廃止できます」と言わんばかりの扱いです。
こんなものが、憲法学におけるバイブル的存在になっているのです。

そんな現憲法は一刻も早く抜本的に改正すべきと考えますが
とはいえ、現状、現憲法がわが国の憲法として機能している以上
その中でも、天皇の存在を確固たるものとして位置づける必要があると考えています。

「天皇は元首ではなく象徴にすぎない」という主張があれば、上に書いたように
「天皇は象徴だから元首なんですよ」と反論し
「天皇は形式的・儀礼的な存在でしかない」と軽んじるのであれば
「形式的・儀礼的な存在って実は重要なんですよ」と反論するなど
ともすれば天皇を軽視し「天皇制廃止」に向かおうとする勢力に対抗して
現憲法の中でも天皇を守り続けることが大事ではなかろうか、というのが私の考えです。

これまで書いてきたのも、そうした一環として書いたものであって
けっして現憲法を賞賛しているわけではないことを御理解いただければと存じます。


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