日本をまもる会 掲示板

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カテゴリ:[ その他 ] キーワード: 日本 政治 愛国


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[763] 針原様、名無し(同じ人?)様

投稿者: 伊那 投稿日:2019年11月20日(水)17時49分35秒   通報   返信・引用   編集済

>>758
針原様、

なるほど。「国家元首かそれに順ずる記載が無い以上国家元首とは認められない」と書いたのは自身でした
確かにそれは国家元首がおこなう儀礼として国際的に認められてますし、憲法にも明記されています
オランダは「政府」、スペインは「国家元首」、イギリスは「神聖不可侵」ないし現代ではやはり「政府」
そして我が国は国家元首がおこなう重要な儀式の一つ、つまりは「実務」というわけですね
そこは盲点でした。テレビに出ている保守の人も、これくらいの論陣を張りなさいよ、と言いたいですね

まあ『チャンネル桜』以外の人はビジネス保守・ビジネス右翼でしょうから薄っぺらいんでしょうけど

『日本國憲法』を変えなければいけないという思いは持っておられるようで安心しました
ただ、自分的にはそもそも殆どの人が守れない『日本國憲法』自体破綻しているので無効と思っていますが

>>756 >>759 >>762
針原様、いつもの人?様

自分はご都合伝統主義は好きではありません。が、それは置いておくとして
概ね 針原様 と自分は南北朝問題については同じ見解です

>>762さんは根本的に南北朝について勘違いしています
それは「朝廷対武家」「保守対革新」という構図です

まず「朝廷対武家」、これは大きな間違いで正確には「後醍醐天皇派対反後醍醐天皇派」という事です
よく南北朝の対立のみがピックアップされますが、そもそも鎌倉幕府の倒幕理由が根本原因です

そもそも『後醍醐天皇様』は正統な帝であらせられますが、ある意味「中継ぎの天皇」でした
当時の朝廷は『持明院統』と『大覚寺統』に別れていて、そもそもその段階で既に朝廷は一枚岩ではない
ちなみに力関係は、荘園の数等から『大覚寺統』の方が勢力が強いです

さて、当時の皇位は『持明院統』と『大覚寺統』が交代々々で皇位に即位なさられていました
『後醍醐天皇様』は、先代の持明院統『花園天皇』が22歳で退位なさられて上皇となった後を受けて
急遽皇位に即位しました

元々は交代々々で皇位を運用していましたが、後醍醐天皇様の実兄『後二條天皇』が若くして崩御しました
そこで花園天皇が12歳で即位しました。

ただ『大覚寺統』で当時の随一の権力者にして 後醍醐天皇様 の実父『後宇多天皇』は
『持明院統』の長期政権は好ましくないとして、ある程度の即位年数を経たところで
大宰帥に任官していた『後醍醐天皇様』に白羽の矢が立ったのです

この即位にあたって、あくまで 後醍醐天皇様 は一代限りの中継ぎの天皇、正統な『大覚寺統』の嫡流は
実兄『後二條天皇』の息子である『邦良親王』であり、邦良親王を皇太子として立てる事が条件でした
いわば「後二條流」に子々孫々受け継がせる為に犠牲となれ、という事です
そしてこの事は、後宇多天皇の『大覚寺統』・伏見天皇(後伏見天皇・花園天皇の父)の『持明院統』両統の意思でした

したがって 後醍醐天皇様 は中継ぎであり、なおかつ大覚寺統の頭領ですらありませんでした(『増鏡』等)
ですから自らの皇子を即位させる為には「朝廷の伝統」を大きく変更するしかなく
同時にそれは通常の関白を中心とした政治も含めて改めざるを得なかったのです
つまり天皇の親政、朝廷の守旧派の利権の否定が大動乱の要因の一つになりました
以上から、わが子可愛さとはいえ如何に 後醍醐天皇 稀代の改革者だったか? が良く解かります

また「明徳の和約」の締結時、『後小松天皇』を始めとする上級公家は『後村上天皇』も『不登極帝』という
扱いにするようにとの声が非常に多かった事からも
南朝が如何に朝廷全般から全く好まれていなかったかがよく解かります
むしろ『足利 義満』は朝廷を説得してなだめる役目をしていた程です

以上の経緯から結論を言うと、『後醍醐天皇様』は三種の神器を受け継ぎ即位の礼もなされた正統な天皇です
また『後村上天皇』は当時から、『長慶天皇』『後亀山天皇』も維新後正統とされました
ですがその理由は、「三種の神器」を保有した上で「即位の礼」を行っているからというのが主な理由です

「血筋びいきで北朝も天皇にしたが、逆賊は許せないという基準も大切なので無理やり」という説もあります
ですが、それならば南朝全般を正統としても問題ありません。現に南朝は滅んで現体制に影響ないのですから

ところが「明徳の和約」を区切って、所謂「後南朝」を正統としなかった合理的な理由は
「三種の神器を受け継いだ上での即位の礼」というだけの事以外考えられません

南朝流は「正統」ではあります。が、皇家皇室の観点で見た場合祖父や父母の意志を踏みにじった
『三種の神器の強奪者』という認識以外、当時の陛下方も持ちようがなかったのではないでしょうか?

ですから、概ね 針原様 の認識通りで問題はないと思いますよ


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