日本をまもる会 掲示板

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カテゴリ:[ その他 ] キーワード: 日本 政治 愛国


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[771] Re: 火の本乙女様、針原様

投稿者: 火の本乙女 投稿日:2019年12月 9日(月)16時17分56秒   通報   返信・引用

あの、伊那さん。光格天皇って殆ど知っている人いませんけど、明治の基礎になるようなそんな凄い人だったんですか?




[770] 日本の歴史の中心点とは?

投稿者: 針原崇志 投稿日:2019年12月 8日(日)23時48分10秒   通報   返信・引用

伊那さん、こんばんは。
ご指摘のコメントありがとうございます。

おっしゃるとおり『本朝皇胤紹運録』は北朝側の立場から書かれたものにすぎませんし
一方の『神皇正統記』も南朝側の立場から書かれたものにすぎません。

ただ、その意味では、『徳川実紀』も徳川の歴史を記したものにすぎません。
(「紀」or「記」が「君主」or「臣下」と関係があるのかよく分からないのですが、それはさておき)

その一方で、徳川時代の歴代天皇は単なる「お飾り」だったのかといえば、けっしてそうではなく
天皇は天皇としての歴史を紡いでこられました。
だからこそ、伊那さんのように、徳川時代の天皇でありながら
光格天皇を尊敬するという評価も生まれるのではないでしょうか。

そう考えるうちに、ふと「群盲象を撫でる」という仏教の説話を思い出しました。
ご存じかもしれませんが、簡単に説明すると・・・

象を見たことのない王様が、数人の盲人を象のところへ遣わしました。
そして象に触れた盲人たちが、王様に象について説明するのですが
象の足に触れた盲人は「象とは柱のようなものです」と言い
象の鼻に触れた盲人は「象とは大蛇のようなものです」と言い
象の胴体に触れた盲人は「象とは壁のようなものです」と言い
象の尻尾に触れた盲人は「象とはほうきのようなものです」と言い
etc・・・
そうして、お互いに
「俺が正しいんだ!おまえは間違っている!」
なんて言い争いましたとさ・・・

要するに、仏教の本質を捉えないままに、その一端を聞きかじっただけで
「御仏の教えとは、このようなものだ!」
なんて得意気になっているのを揶揄しているわけですね。
12月8日、成道会(じょうどうえ)にちなんで仏教の話を出してみました(笑)

ちょっと脱線しましたが
歴史というのも同じようなもので
見る方向によっていろんな見方があるのが当然であって
どれが正しい、どれが間違っている、なんて一概にはいえないのではないでしょうか。

南朝側の見方もあれば、北朝側の見方もある。
武家側の見方もあれば、天皇側の見方もある。
討幕側の見方もあれば、佐幕側の見方もある。
日本側の見方もあれば、アメリカ側、韓国側の見方もある。

最後に関しては、腐るほど溢れかえっている「アメリカ側」「韓国側」に対抗するためにも
私としては、日本人として、あくまでも「日本側」を貫き通すつもりですが
それもあくまで私の主観にすぎないという謙虚さを忘れるべきではないのでしょうね。

そう考えると、いただいたコメントに
>日本の歴史の中心点とはどこにあるのだろうか?
>日本の歴史を読み解くに、所謂公式な歴史書は何を用いればよいのだろうか?
>そこを考えた場合、やはり武家政権の手による書が妥当であり、また学会もその様に捉えています
とありますが
「日本の歴史の中心点」というものを設けること自体、果たして適切なことなのか、
そのようなものを設けると、かえって真実を見誤ってしまうのではなかろうか、
というのが私の考えです。

歴史というものが、幾多の人々によって紡ぎ出される物語の集大成であるならば
「中心」だとか「正しい」だとか、そう簡単に決めつけないほうがいいのではないでしょうかね。

天皇を中心とした見方もある。
武家を中心とした見方もある。
庶民を中心とした見方もある。
宗教を中心とした見方もある。
芸術・文化を中心とした見方もある。
etc・・・
それらを総合してこそ、歴史の全体像、すなわち本質に近づけるのではなかろうかと思います。

なので、今回の南北朝の議論の中でも
「天皇を日本の歴史の中心点に据えるべきだ」などとは主張していませんし
そんな大それた主張をできるほど、歴史に関して深い見識を持ち合わせていないことは
ちゃんと自覚しています(笑)

私の遅筆もあって(スイマセン・・・)議論が長引いてしまっていますが
そもそもは、火の本乙女さんからいただいた
>質問です!!針原さんは室町幕府も認めているのですか?(>>755)
との御質問に対して
「北朝の天皇もけっしてニセモノではないのだから
北朝の天皇に任ぜられた足利尊氏もちゃんと征夷大将軍として認めて
室町幕府も認めるべきではないでしょうか?」
と回答する一環として、南北朝の話に及んだだけであって
「北朝の歴史が日本の正史だ!」
とまで主張するつもりはありません。

というわけで
伊那さんからいただいたコメントに対して
ちゃんと的を射た回答になっているかどうか、ちょっと不安ですが
とりあえず、思うところを書かせて頂きました。
もし御質問の趣旨と外れていたら、酔っぱらいの戯言と御容赦いただき(笑)
改めて御指摘いただければと存じます。



[769] 火の本乙女様、針原様

投稿者: 伊那 投稿日:2019年12月 5日(木)08時23分12秒   通報   返信・引用   編集済

横から失礼します

>光格天皇による『光格天皇宸翰南無阿弥陀仏』の奥書には

あの偉大な『光格天皇様』をお知りになられているとは思いませんでした
さすが、針原様 というべきですね
自分自身も、日本史の中の皇室関係の中では『後三条天皇様』『後醍醐天皇様』とともに
大変尊敬している一人でもあるので、その名前が出た事は本当に嬉しい限りです

かの御方がおられたからこそ、栄えある明治の代を迎える事が出来た
まさしく稀代の英傑と断言しても良い御方でした

さて、この議論を冷静に見た時、お二人とも何か勘違いをしておられるのではないか? と
そう思わざるをえません

>逆に、長らく北朝こそが正統とされていました。
>長らく北朝が正統だったという理論もおかしいと思います。(べき論)

日本の歴史を「どちらを中心として見るか?」によるものではないか?と思うわけです

そしてその中心点を「天皇・朝廷を中心として見る」という事が本質的に正しいのか?
そこの所をもう一度再考したほうが良いのでは?

例えば今現在、日本の正史として『昭和天皇紀』が著述されている事実をもってしても
戦後だけを見ても、『昭和天皇様』を中心として見るよりかは
あるいは「吉田 茂」を、あるいは「田中 角栄」を、中心として見る方がより自然に近いと思います
まあそれでも『昭和天皇紀』という『国史』を宮内庁が編纂出来ている時点で
『昭和天皇様』を中心として見る事には無理が無いと言えるでしょう

しかし、では歴史上ではどうだろうか? というと微妙ですね
『六国史』はご存知でしょうか? 『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』と
『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』の合計六冊を指す言葉です
これらは朝廷によって編纂されました

その他に『準国史』として『鏡シリーズ』があります。別名『四鏡』とも言われております
これらは朝廷が『国史』として編纂していますので、「天皇中心」「朝廷中心」の歴史と言えます

ですが鎌倉時代になると様相が変わります
年号や改暦権こそ「天皇・朝廷」が握っていましたが、針原様がおっしゃっておられるように
政治は全て武家がおこない、国史の編纂も『東鑑』以来武家がおこなっていました
つまり「天皇・朝廷」は国史の編纂能力を失っていたのです
それは依然国家元首としての体裁は保てたものの、国史を司る権利を放棄しています

であるならば、日本の歴史の中心点とはどこにあるのだろうか?
日本の歴史を読み解くに、所謂公式な歴史書は何を用いればよいのだろうか?
そこを考えた場合、やはり武家政権の手による書が妥当であり、また学会もその様に捉えています

さて我が国にはかつて『江戸幕府』が存在していました
そして江戸幕府の手によって編纂された正史が『徳川実記』であり
また私撰ではあるものの幕府からも明治政府からも正史と同列として認められたのが
『徳川 光圀』の手による『大日本史』であります
儒学者の「林 羅山親子」による『本朝通鑑』は幕府からだけですが

あ、つっこみが来る前に訂正を。本来は『徳川実紀』であるのですが
やはり臣下にすぎない者に『紀』とつけるのはおこがましい限りですので
あえて国史大系に順じて『記』とつけます

さて、「東照宮御実記」では、先祖については「新田 義貞」に付き随って南朝に仕えたとありますね
『本朝通鑑』は「南北朝併記」ですが、基本的に「北朝正統論」を採用しております
では『大日本史』はどうか?『大日本史』では『後小松天皇』については
『後亀山天皇』から譲位された、という形になっており、刊行に関して議論がありましたが幕府が強行しました

つまり、針原さん の「北朝正統論」が長いという説明は正しい物であり
かつ、江戸時代は「南北朝正閏論並立状態」も長く続いていた、という事実もまたあると言えるでしょう
火の本乙女さん の言い分が間違いということがここから伺えます。が、


そもそも最初に言ったように、お二人はそれぞれ基本的な認識が違うと思っています
政権を運営する力を武家に奪われ、さらに国史編纂能力も無い時点で
天皇の意思を中心として捉え、それがイコール国史であると考えているのは違うのではないでしょうか?

『本朝皇胤紹運録』は年齢も『日本書紀』とも合わない、いわば個人的な駄文に属する物です
お隣の中国でも個人的な「実録」を正式に正史とは認めていませんでした

我が国は「天皇陛下=日本国」であるかも知れませんが、それは絶対的な物であると思うならば間違いです
個人と公は明確に別けてしかるべき話と思うわけなんですよ



[768] 北朝の天皇も尊重すべきでは?

投稿者: 針原崇志 投稿日:2019年12月 1日(日)08時53分3秒   通報   返信・引用   編集済

火の本乙女さん、こんにちは。

火の本乙女さんの国を思うお気持ちが、いただいたコメントからひしひしと伝わってまいります。
ですが、>>760 でも記したように
この掲示板は、あくまでもケンカではなく議論の場にしたいと考えておりますので
どうぞ感情的にならず、冷静な議論をお願いします。

・・・・・

まず、前回の繰り返しになりますが
「べきである or べきではない」というのと
「である or ではない」というのとは
あくまでも分けて考えないと、話が混乱してしまいます。

いただいた返信に
>今の天皇陛下が北朝流だからと言って長らく北朝が正統だったという理論もおかしいと思います。
とありますが
「長らく北朝が正統とされていた」というのは
私が勝手に唱えている「理論」ではなく
「そうだった」という「事実」の話です。

たとえば、第119代 光格天皇による『光格天皇宸翰南無阿弥陀仏』の奥書には
「神武百二十世兼仁合掌三礼」とあるそうです。
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Gallery/35b618cce7f94cfaa0e3d6e22ba4f185
(上から4番目)

↑の解説にもあるように
光格天皇を第120代とするのは、北朝を歴代とする『本朝皇胤紹運録』の数え方によるものです。

南朝を歴代天皇とする現在、光格天皇は第119代とされていますが
北朝を歴代天皇とするならば、第121代になります。
その121代から、明治3年に歴代天皇に列せられた(=それ以前は天皇とされていなかった)
弘文天皇、淳仁天皇、仲恭天皇を除き
『本朝皇胤紹運録』では天皇とされていた神功皇后と飯豊青皇女(飯豊天皇)を加えれば
当時、光格天皇は第120代だったことになります。
つまり、北朝の天皇は、かつては歴代天皇として数えられていたのです。

一方、南朝の天皇についていえば
後村上天皇、後亀山天皇に追諡されたのは
南北朝正閏問題をきっかけに南朝が正統とされた明治44年のことです。
長慶天皇はさらに後、即位が公式に認められた大正15年です。
つまり、ごく最近まで、南朝の天皇は歴代天皇に列せられていなかったのです。

そうした事実から、私は「長らく北朝が正統とされていた」というのを
歴史的事実として認識している次第です。

これは「事実認識」の問題ですので、こうした認識がおかしいというのであれば
反論は「べき論」ではなく
南朝こそが長らく正統とされていたことを示す論拠・資料を提示していただき
私の事実誤認を指摘する反論をお願いします。
それが納得できるものであれば、私も事実誤認を認め、認識を改めます。

・・・・・

以上の事実認識を前提に、「べき論」についていえば
そのように長らく歴代天皇に列せられていた北朝の天皇を
政治的な思惑で歴代天皇から外し
さらにはその存在そのものをもなかったことにしてしまおうというのは
分限をわきまえない暴挙というべきものではないのでしょうか。

たとえば、火の本乙女さんは
北朝の天皇については「ニセモノ」として
天皇の称号を剥奪すべきとお考えなのでしょうか。
天皇という称号は、そのように簡単にくっ付けたり剥がしたりできるものなのでしょうか。
そうお考えなのだとしたら、それこそ
天皇という位をあまりにも軽んじている姿勢といえるのではないでしょうか。

その発端はいろいろ問題があるものだったにせよ
長らく北朝が正統とされてきたという事実は
けっして軽んじることのできるものではないと考えます。

むろん、南北朝正閏問題に際して、山縣有朋の上奏を受けて
明治天皇の勅裁をもって南朝を正統とすることが決せられて今に至っている以上
南朝を正統とすることに異を唱えるつもりはありませんが
同時に、かつては正統とされていた北朝の天皇についても
正統ではないにせよ、あくまでもニセモノではない「本物の天皇」として
相当の敬意をはらい、尊重すべきではなかろうかというのが私の考えです。



[767] Re: いつもの人です

投稿者: 伊那 投稿日:2019年11月28日(木)17時02分11秒   通報   返信・引用   編集済 > No.766[元記事へ]

針原様

>幅広くさまざまな分野に精通しておられることに、つくづく感服いたします。

そこまでのものでもありません
歴史や文化は過去を振り返る程度の物という認識ですが、それでも政治思想を語るのに歴史の重みは無視できませんから

>あのめんどくさいアホには絶対に関わらないほうがいいですよ。

そうですね。さすがに特殊な世界を築いている方と関わり合いになるのは。「宿禰」とか言ってますし(苦笑)

火の本乙女様

>天皇という位はそんな軽いものなんですか?

軽いと思いますよ

>それに南朝が朝廷からの支持も少なかったってただの願望ですよね?

『明徳の和約』時、『後小松天皇』は『後亀山天皇』との会談を拒絶してます
さらに『安徳天皇』崩御の先例にならって、神器を接収するという非礼も行われています(『南山御出次第』『御神楽雑記』)

後亀山天皇に太上天皇の尊号を贈るときも、北朝を中心とする伝統公家は強い反発を示して
最終的に『足利 義満』の強い意向、つまり足利のお陰で南朝が体面を保ててます(『荒暦』)

さらに主流派の心情を現すものとしてこんな物もあります

義良親王とは、陸奥太守、南方に於いて君主を称し、後村上天皇を号する云々
寛成親王とは、法名覚理、南方に於いて自立し、長慶院を号する
熙成王とは、法名金剛心、吉野より降りし後、太上天皇尊号を蒙り、後亀山院を号する

以上、『後小松天皇』が「洞院 満季」に命じて編纂させた『本朝皇胤紹運録』の一説です

>後村上天皇様に対してそんな事を本当に言ってたんですか?

『後土御門天皇』が「壬生 晴富」に命じて著述した『続神皇正統記』

後村上天皇、諱は義良、第九十六代第五十世云々、これは南方の偽の主の御事にて、当朝日嗣には加奉らず

これで納得できましたか?

>朝廷は陛下のための組織のはずで、一枚岩にならないといけないはずでしょ。

残念ながらそれは幻想です。明治の元老「西園寺 公望公爵」はご存知ですよね? 清華家の一員です
彼の先祖である「西園寺 公宗」は「北条 時興」と結託して『後醍醐天皇様』を暗殺しようとしてました
すごいですね!! 公家が「天皇殺し」の偉業をなそうとしたんですよ?(『太平記』巻十三 北山殿御謀反事)

さらに南北朝が分裂している時に、その北朝の中でも分裂していました
所謂『伏見宮永世親王家』設立の原因ともなった出来事です

観応二年(1351年)に「足利 尊氏」は弟と南朝を切り離すために南朝と和睦したため、南朝が統一しました
それに伴い南朝と足利の力により『崇光天皇』や皇太子(皇太弟)『直仁親王』は廃位されました
弟の「足利 直義」が死去して兄が勝利して内乱を終えた後
『北畠 親房公』を総大将とした軍勢が攻め込み、先方の『楠木 正儀公』が京を攻め落としました

『北畠 親房公』は「三種の神器」を持ち去り
『光厳天皇』・『光明天皇』・『崇光天皇』(退位した直後)の三上皇と皇太子『直仁親王』を連れ去りました
「三種の神器」も無く、正当な皇位継承者も居ない状態で窮地に立った「足利 尊氏」は
「三種の神器」も無く、即位の礼も行わない緊急措置で『崇光天皇』・『直仁親王』の弟であり
皇位継承外だった『後光厳天皇』を即位させました
そして後に、三上皇と皇太子は京に帰ってきました。ここまでは良いですね?

ここからが修羅場の始まりです。『後光厳流』は正当性に欠けていて、皇位を元に戻すよう訴えられていました
ところが『後光厳天皇』はこれを無視して、息子の『後円融天皇』に譲位してしまいます
騒動が大きくなってきた事から、嫡流は『崇光天皇』であるとして皇子の『伏見宮栄仁親王』に
持明院統の所領を相続する事をしぶしぶ認めます。ところが『後小松天皇』は所領を没収したり嫌がらせを行います

そんな『後小松天皇』も跡継ぎに恵まれず、さらに南朝との『明徳の和約』で地位が脅かされるにいたって
ようやく『伏見宮貞成親王』(崇光天皇孫)の息子『後花園天皇』を皇太子にする事を容認する事になります
だが『後小松天皇』は「猶子という事は自分の子であるから、父に尊号を贈るのはやめろ」と遺言しています
非常にみっともない態度ですね

ところが『後花園天皇』はなんと、「伏見宮は特別な宮である」として文安元年(1444年)に
同母弟の『伏見宮貞常親王』に親王宣下をおこない
文安四年(1447年)には遺言に反して実父に『後崇光院』の尊号を贈りました
解かります?遺言に反してただ贈っただけでなく、わざわざ『後崇光院』と『崇光天皇』を想い起させる名称にしてます

ちなみに、この事についてどのように朝廷は思っていたか?

凡そ帝位に非ざる尊号、後高倉院、後亀山院、両度也。今度の儀、後高倉院より浅いが、後亀山院よりは深いか

以上、最後まで尊号を贈る事に反対していた「万里小路 時房」の『建内記』です
つまり後高倉院よりは道理は無いが、後亀山院の例よりは余程マシだ、というなんともな評価です

どうです? 朝廷って一致団結している組織でしたか?
そもそも天皇と皇室の御意思は別物ですし、朝廷という組織体ともその意思は別物ですよ




[766] いつもの人です

投稿者: 火の本乙女 投稿日:2019年11月26日(火)21時35分37秒   通報   返信・引用

伊那さんは色々説明してくれてますが結局肯定のための理由付けですよね?そんなふざけた理由のために皇位につけたんですか?天皇という位はそんな軽いものなんですか?それに南朝が朝廷からの支持も少なかったってただの願望ですよね?後村上天皇様に対してそんな事を本当に言ってたんですか?朝廷は陛下のための組織のはずで、一枚岩にならないといけないはずでしょ。

針原さんは平田国学派の愛国心溢れる足利三代木像梟首を実行した先人達の意思を踏みにじるとも取られかねない主張だと思いますが、こういうやり方についても愚かな事だと思っているのですか? 今の天皇陛下が北朝流だからと言って長らく北朝が正統だったという理論もおかしいと思います。

そういえば、伊那さんは過去に中国や北朝鮮のあり方を否定しないとか言ってませんでした?歴史問題についてのあり方についてどうとらえてるんですか?



[765] 日韓議員連盟と言う売国奴の集団

投稿者: 名無しの権兵衛 投稿日:2019年11月25日(月)23時25分49秒   通報   返信・引用

25韓国紙、中央日報は、超党派でつくる日韓議員連盟の河村建夫幹
事長(自民党)が、元徴用工訴訟問題で韓国国会の文喜相議長が提唱して
いる、日韓の企業と個人の寄付金を賠償金代わりに原告に支払うとする法
案について「(徴用工問題の)解決策はこれだけだ」と評価したと報じた
。同紙のインタビューで述べた。

この報道が真実なら日韓議員連盟という輩の集まりは売国奴の集まりだと
言って良い。
特にこの川村という輩は韓国の代弁者のような事を何時もほざいて居る。
この様な国賊共は絶対に選挙で当選させては成らない



[764] 南北朝に関する私見

投稿者: 針原崇志 投稿日:2019年11月24日(日)23時48分53秒   通報   返信・引用   編集済

伊那さん、名無しの権兵衛さん、こんばんは。

伊那さん、丁重なる訂正をいただきありがとうございます。

>正確には国際的な正式な承認ではなく、誰が見ても聞いても恥ずかしくない品格のような物という意味です
>極端な話「あの国、大なんかつけちゃって恥ずかしいね」と言われるか? 言われないか? という意味です
ということであれば、なるほど納得です。

「大日本帝国憲法」の制定に際して、「大」を冠するか否か、議論もあったそうですが
あえて「大」を付けたのは、それに恥じない国づくりを目指そうという意気込みからかもしれませんね。

また、南北朝に関するお話は、とても参考になりました。
幅広くさまざまな分野に精通しておられることに、つくづく感服いたします。

しかも、安濃豊というマイナーな存在までご存知とは恐れ入りました(笑)
伊那さんも、あのめんどくさいアホには絶対に関わらないほうがいいですよ。

―――――――――――――――

名無しの権兵衛さん、返信ありがとうございます。

南北朝あるいは吉野朝に関しては深い見識などなく、勉強しながらの議論ですので
時にトンチンカンな記述があるかもしれませんが
その際には、ご指摘いただけると幸いです。

・・・・・

まず、室町幕府についてですが
名無しの権兵衛さんからいただいた >>755 のコメント
>質問です!!針原さんは室町幕府も認めているのですか?
との御質問からは、名無しの権兵衛さんは室町幕府を認めておられないように拝察しますが
たとえば、戦時中の昭和18年に書かれた国民学校初等科の国史の教科書にも
室町幕府について、ちゃんと記述されています。

もっとも、幕府を開いたのは、足利尊氏ではなく
南北朝合一の後に第百代 後小松天皇によって征夷大将軍に任ぜられた足利義満が
幕府を開いたということになっていますけれども
室町幕府の存在自体は否定されていません。

その箇所を抜粋すると、以下の通りです。

「(足利義満は)後亀山天皇におわびして、京都へお帰りくださるよう、ひたすらお願い申しあげました。
天皇は、義満の願いをお聞きとどけになって、めでたく京都に還幸あらせられ、
まもなく、御位を第百代 後小松天皇におゆずりになりました。
紀元二千五十二年、元中九年のことであります。
義満は、朝廷にお仕えして征夷大将軍に任じられ、京都の室町に幕府を開きました。」
(三浦小太郎解説『〔復刻版〕初等科国史』p102)

このように、南朝を正統とする立場であっても
少なくとも南北朝合一以降は室町幕府の存在を認めている以上、
もし「足利憎し」で室町幕府の存在そのものを全否定なさっているのだとするならば
それは如何なものかと思います。

・・・・・

そして北朝に対する認識について
>>762 のコメントに
>針原さんは北朝も正統だという考えなんですね。
とありますが
>>759 で、私は北朝の歴代天皇を「正統ではないけれどもニセモノでもない」
つまり北朝は「正統ではない」と明記しています。
しかしながら「ニセモノでもない」というのが私の認識です。

そもそも、南北朝正閏論は、どちらか一方を正統と決めるだけであって
他方をニセモノとして排除するものではないものと理解しています。

正閏論の「閏」という文字は
4年に1度の「閏年(うるうどし)」という言葉に用いられますが
これは「余りもの」を意味する文字なのだそうです。

閏年における2月29日を「閏日」といいますが
通常1年365日のところ、2月29日はその365日に含まれていない「余りもの」です。

では、2月29日という日は、本来存在すべきではないニセモノの日かといえば
そんなことはなく、2月29日もれっきとした1日です。

同様に、北朝の天皇も、正統な天皇ではないとされているものの
けっしてニセモノではなく、れっきとした天皇だというのが私の認識です。

・・・・・

そして、北朝は南北朝合一以降一貫してそのような「余りもの」扱いだったわけではなく
逆に、長らく北朝こそが正統とされていました。
そもそも現在に続く皇統は北朝の系統だということもあって
北朝を正統とするのが自然な流れだったのでしょうね。

その後、南朝正統論を奉じる維新志士たちが政権の座についた明治時代になっても
ガラッと南朝正統論に転換したわけではなく
冒頭の写真のように(ちょっと見づらいですが)
国史の教科書にも、南朝と北朝とが併記されていました。

ところが、明治44(1911)年に
万世一系の観点から「両統の並立を認めるべきではない」という声があがって
この問題が帝国議会で与野党間の政治問題にまで発展してしまい
最終的に、南朝を正統とすることで決着が図られました。

臣下の分際で天皇の正統性を政争の具にすること自体、不敬極まりないと思うのですが
ともあれ、南朝が正式に正統とされたのはこれ以降であって
皇室の長い歴史からすれば、ごく最近のことといえるでしょう。

・・・・・

そして、そんなふうに
「天皇は万世一系であるべきなのだから、これまでもずっと一系だったことにしよう」
という姿勢が適切なものかといえば、私はけっしてそうは思いません。

不愉快な喩えで恐縮ですが、それこそ
「こうであったと信じたい」という願望を、「こうであった」という「史実」ということにしてしまう
某近隣諸国と同じ姿勢といえるのではないでしょうか。

「〇〇であるべき or 〇〇であるべきではない」というのと
「〇〇であった or 〇〇ではなかった」というのとは
あくまでも分けて考えるべきです。

>天皇が日本に二人同時にいるのはおかしいと思います。
というのは、まさにおっしゃる通りで
天皇はわが国にただお一人で「あるべき」です。

とはいえ、過去に、ともに天皇を戴く南朝と北朝という二つの勢力が「あった」のは
今さら変えることなどできない、まぎれもない歴史的事実です。

「歴史は国民の物語である」なんてことも言われますけれども
だからといって、たしかに存在した歴史的事実を「なかったことにしよう」というのは
某近隣諸国がさかんに行っている「歴史の改竄」にほかならないのではないでしょうか。

以上から、私見としては
北朝の歴代天皇も、正統の天皇ではないにせよ、まぎれもなく天皇であるのに違いはなく
かつて日本に二人の天皇が存在する時代があったことは認めるべきではなかろうかと考えます。



[763] 針原様、名無し(同じ人?)様

投稿者: 伊那 投稿日:2019年11月20日(水)17時49分35秒   通報   返信・引用   編集済

>>758
針原様、

なるほど。「国家元首かそれに順ずる記載が無い以上国家元首とは認められない」と書いたのは自身でした
確かにそれは国家元首がおこなう儀礼として国際的に認められてますし、憲法にも明記されています
オランダは「政府」、スペインは「国家元首」、イギリスは「神聖不可侵」ないし現代ではやはり「政府」
そして我が国は国家元首がおこなう重要な儀式の一つ、つまりは「実務」というわけですね
そこは盲点でした。テレビに出ている保守の人も、これくらいの論陣を張りなさいよ、と言いたいですね

まあ『チャンネル桜』以外の人はビジネス保守・ビジネス右翼でしょうから薄っぺらいんでしょうけど

『日本國憲法』を変えなければいけないという思いは持っておられるようで安心しました
ただ、自分的にはそもそも殆どの人が守れない『日本國憲法』自体破綻しているので無効と思っていますが

>>756 >>759 >>762
針原様、いつもの人?様

自分はご都合伝統主義は好きではありません。が、それは置いておくとして
概ね 針原様 と自分は南北朝問題については同じ見解です

>>762さんは根本的に南北朝について勘違いしています
それは「朝廷対武家」「保守対革新」という構図です

まず「朝廷対武家」、これは大きな間違いで正確には「後醍醐天皇派対反後醍醐天皇派」という事です
よく南北朝の対立のみがピックアップされますが、そもそも鎌倉幕府の倒幕理由が根本原因です

そもそも『後醍醐天皇様』は正統な帝であらせられますが、ある意味「中継ぎの天皇」でした
当時の朝廷は『持明院統』と『大覚寺統』に別れていて、そもそもその段階で既に朝廷は一枚岩ではない
ちなみに力関係は、荘園の数等から『大覚寺統』の方が勢力が強いです

さて、当時の皇位は『持明院統』と『大覚寺統』が交代々々で皇位に即位なさられていました
『後醍醐天皇様』は、先代の持明院統『花園天皇』が22歳で退位なさられて上皇となった後を受けて
急遽皇位に即位しました

元々は交代々々で皇位を運用していましたが、後醍醐天皇様の実兄『後二條天皇』が若くして崩御しました
そこで花園天皇が12歳で即位しました。

ただ『大覚寺統』で当時の随一の権力者にして 後醍醐天皇様 の実父『後宇多天皇』は
『持明院統』の長期政権は好ましくないとして、ある程度の即位年数を経たところで
大宰帥に任官していた『後醍醐天皇様』に白羽の矢が立ったのです

この即位にあたって、あくまで 後醍醐天皇様 は一代限りの中継ぎの天皇、正統な『大覚寺統』の嫡流は
実兄『後二條天皇』の息子である『邦良親王』であり、邦良親王を皇太子として立てる事が条件でした
いわば「後二條流」に子々孫々受け継がせる為に犠牲となれ、という事です
そしてこの事は、後宇多天皇の『大覚寺統』・伏見天皇(後伏見天皇・花園天皇の父)の『持明院統』両統の意思でした

したがって 後醍醐天皇様 は中継ぎであり、なおかつ大覚寺統の頭領ですらありませんでした(『増鏡』等)
ですから自らの皇子を即位させる為には「朝廷の伝統」を大きく変更するしかなく
同時にそれは通常の関白を中心とした政治も含めて改めざるを得なかったのです
つまり天皇の親政、朝廷の守旧派の利権の否定が大動乱の要因の一つになりました
以上から、わが子可愛さとはいえ如何に 後醍醐天皇 稀代の改革者だったか? が良く解かります

また「明徳の和約」の締結時、『後小松天皇』を始めとする上級公家は『後村上天皇』も『不登極帝』という
扱いにするようにとの声が非常に多かった事からも
南朝が如何に朝廷全般から全く好まれていなかったかがよく解かります
むしろ『足利 義満』は朝廷を説得してなだめる役目をしていた程です

以上の経緯から結論を言うと、『後醍醐天皇様』は三種の神器を受け継ぎ即位の礼もなされた正統な天皇です
また『後村上天皇』は当時から、『長慶天皇』『後亀山天皇』も維新後正統とされました
ですがその理由は、「三種の神器」を保有した上で「即位の礼」を行っているからというのが主な理由です

「血筋びいきで北朝も天皇にしたが、逆賊は許せないという基準も大切なので無理やり」という説もあります
ですが、それならば南朝全般を正統としても問題ありません。現に南朝は滅んで現体制に影響ないのですから

ところが「明徳の和約」を区切って、所謂「後南朝」を正統としなかった合理的な理由は
「三種の神器を受け継いだ上での即位の礼」というだけの事以外考えられません

南朝流は「正統」ではあります。が、皇家皇室の観点で見た場合祖父や父母の意志を踏みにじった
『三種の神器の強奪者』という認識以外、当時の陛下方も持ちようがなかったのではないでしょうか?

ですから、概ね 針原様 の認識通りで問題はないと思いますよ



[762] Re: 室町幕府について

投稿者: 名無しの権兵衛 投稿日:2019年11月19日(火)19時07分21秒   通報   返信・引用

針原さんは北朝も正統だという考えなんですね。だけど天皇が日本に二人同時にいるのはおかしいと思います。針原さんも伊那さんもそこはおりあいをつけてるんですか?保守の朝廷と革新の尊氏と対立して天皇陛下を弾圧して京都から追放したんですよね?


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