日本をまもる会 掲示板

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カテゴリ:[ その他 ] キーワード: 日本 政治 愛国


594件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[767] Re: いつもの人です

投稿者: 伊那 投稿日:2019年11月28日(木)17時02分11秒   通報   返信・引用   編集済 > No.766[元記事へ]

針原様

>幅広くさまざまな分野に精通しておられることに、つくづく感服いたします。

そこまでのものでもありません
歴史や文化は過去を振り返る程度の物という認識ですが、それでも政治思想を語るのに歴史の重みは無視できませんから

>あのめんどくさいアホには絶対に関わらないほうがいいですよ。

そうですね。さすがに特殊な世界を築いている方と関わり合いになるのは。「宿禰」とか言ってますし(苦笑)

火の本乙女様

>天皇という位はそんな軽いものなんですか?

軽いと思いますよ

>それに南朝が朝廷からの支持も少なかったってただの願望ですよね?

『明徳の和約』時、『後小松天皇』は『後亀山天皇』との会談を拒絶してます
さらに『安徳天皇』崩御の先例にならって、神器を接収するという非礼も行われています(『南山御出次第』『御神楽雑記』)

後亀山天皇に太上天皇の尊号を贈るときも、北朝を中心とする伝統公家は強い反発を示して
最終的に『足利 義満』の強い意向、つまり足利のお陰で南朝が体面を保ててます(『荒暦』)

さらに主流派の心情を現すものとしてこんな物もあります

義良親王とは、陸奥太守、南方に於いて君主を称し、後村上天皇を号する云々
寛成親王とは、法名覚理、南方に於いて自立し、長慶院を号する
熙成王とは、法名金剛心、吉野より降りし後、太上天皇尊号を蒙り、後亀山院を号する

以上、『後小松天皇』が「洞院 満季」に命じて編纂させた『本朝皇胤紹運録』の一説です

>後村上天皇様に対してそんな事を本当に言ってたんですか?

『後土御門天皇』が「壬生 晴富」に命じて著述した『続神皇正統記』

後村上天皇、諱は義良、第九十六代第五十世云々、これは南方の偽の主の御事にて、当朝日嗣には加奉らず

これで納得できましたか?

>朝廷は陛下のための組織のはずで、一枚岩にならないといけないはずでしょ。

残念ながらそれは幻想です。明治の元老「西園寺 公望公爵」はご存知ですよね? 清華家の一員です
彼の先祖である「西園寺 公宗」は「北条 時興」と結託して『後醍醐天皇様』を暗殺しようとしてました
すごいですね!! 公家が「天皇殺し」の偉業をなそうとしたんですよ?(『太平記』巻十三 北山殿御謀反事)

さらに南北朝が分裂している時に、その北朝の中でも分裂していました
所謂『伏見宮永世親王家』設立の原因ともなった出来事です

観応二年(1351年)に「足利 尊氏」は弟と南朝を切り離すために南朝と和睦したため、南朝が統一しました
それに伴い南朝と足利の力により『崇光天皇』や皇太子(皇太弟)『直仁親王』は廃位されました
弟の「足利 直義」が死去して兄が勝利して内乱を終えた後
『北畠 親房公』を総大将とした軍勢が攻め込み、先方の『楠木 正儀公』が京を攻め落としました

『北畠 親房公』は「三種の神器」を持ち去り
『光厳天皇』・『光明天皇』・『崇光天皇』(退位した直後)の三上皇と皇太子『直仁親王』を連れ去りました
「三種の神器」も無く、正当な皇位継承者も居ない状態で窮地に立った「足利 尊氏」は
「三種の神器」も無く、即位の礼も行わない緊急措置で『崇光天皇』・『直仁親王』の弟であり
皇位継承外だった『後光厳天皇』を即位させました
そして後に、三上皇と皇太子は京に帰ってきました。ここまでは良いですね?

ここからが修羅場の始まりです。『後光厳流』は正当性に欠けていて、皇位を元に戻すよう訴えられていました
ところが『後光厳天皇』はこれを無視して、息子の『後円融天皇』に譲位してしまいます
騒動が大きくなってきた事から、嫡流は『崇光天皇』であるとして皇子の『伏見宮栄仁親王』に
持明院統の所領を相続する事をしぶしぶ認めます。ところが『後小松天皇』は所領を没収したり嫌がらせを行います

そんな『後小松天皇』も跡継ぎに恵まれず、さらに南朝との『明徳の和約』で地位が脅かされるにいたって
ようやく『伏見宮貞成親王』(崇光天皇孫)の息子『後花園天皇』を皇太子にする事を容認する事になります
だが『後小松天皇』は「猶子という事は自分の子であるから、父に尊号を贈るのはやめろ」と遺言しています
非常にみっともない態度ですね

ところが『後花園天皇』はなんと、「伏見宮は特別な宮である」として文安元年(1444年)に
同母弟の『伏見宮貞常親王』に親王宣下をおこない
文安四年(1447年)には遺言に反して実父に『後崇光院』の尊号を贈りました
解かります?遺言に反してただ贈っただけでなく、わざわざ『後崇光院』と『崇光天皇』を想い起させる名称にしてます

ちなみに、この事についてどのように朝廷は思っていたか?

凡そ帝位に非ざる尊号、後高倉院、後亀山院、両度也。今度の儀、後高倉院より浅いが、後亀山院よりは深いか

以上、最後まで尊号を贈る事に反対していた「万里小路 時房」の『建内記』です
つまり後高倉院よりは道理は無いが、後亀山院の例よりは余程マシだ、というなんともな評価です

どうです? 朝廷って一致団結している組織でしたか?
そもそも天皇と皇室の御意思は別物ですし、朝廷という組織体ともその意思は別物ですよ




[766] いつもの人です

投稿者: 火の本乙女 投稿日:2019年11月26日(火)21時35分37秒   通報   返信・引用

伊那さんは色々説明してくれてますが結局肯定のための理由付けですよね?そんなふざけた理由のために皇位につけたんですか?天皇という位はそんな軽いものなんですか?それに南朝が朝廷からの支持も少なかったってただの願望ですよね?後村上天皇様に対してそんな事を本当に言ってたんですか?朝廷は陛下のための組織のはずで、一枚岩にならないといけないはずでしょ。

針原さんは平田国学派の愛国心溢れる足利三代木像梟首を実行した先人達の意思を踏みにじるとも取られかねない主張だと思いますが、こういうやり方についても愚かな事だと思っているのですか? 今の天皇陛下が北朝流だからと言って長らく北朝が正統だったという理論もおかしいと思います。

そういえば、伊那さんは過去に中国や北朝鮮のあり方を否定しないとか言ってませんでした?歴史問題についてのあり方についてどうとらえてるんですか?



[765] 日韓議員連盟と言う売国奴の集団

投稿者: 名無しの権兵衛 投稿日:2019年11月25日(月)23時25分49秒   通報   返信・引用

25韓国紙、中央日報は、超党派でつくる日韓議員連盟の河村建夫幹
事長(自民党)が、元徴用工訴訟問題で韓国国会の文喜相議長が提唱して
いる、日韓の企業と個人の寄付金を賠償金代わりに原告に支払うとする法
案について「(徴用工問題の)解決策はこれだけだ」と評価したと報じた
。同紙のインタビューで述べた。

この報道が真実なら日韓議員連盟という輩の集まりは売国奴の集まりだと
言って良い。
特にこの川村という輩は韓国の代弁者のような事を何時もほざいて居る。
この様な国賊共は絶対に選挙で当選させては成らない



[764] 南北朝に関する私見

投稿者: 針原崇志 投稿日:2019年11月24日(日)23時48分53秒   通報   返信・引用   編集済

伊那さん、名無しの権兵衛さん、こんばんは。

伊那さん、丁重なる訂正をいただきありがとうございます。

>正確には国際的な正式な承認ではなく、誰が見ても聞いても恥ずかしくない品格のような物という意味です
>極端な話「あの国、大なんかつけちゃって恥ずかしいね」と言われるか? 言われないか? という意味です
ということであれば、なるほど納得です。

「大日本帝国憲法」の制定に際して、「大」を冠するか否か、議論もあったそうですが
あえて「大」を付けたのは、それに恥じない国づくりを目指そうという意気込みからかもしれませんね。

また、南北朝に関するお話は、とても参考になりました。
幅広くさまざまな分野に精通しておられることに、つくづく感服いたします。

しかも、安濃豊というマイナーな存在までご存知とは恐れ入りました(笑)
伊那さんも、あのめんどくさいアホには絶対に関わらないほうがいいですよ。

―――――――――――――――

名無しの権兵衛さん、返信ありがとうございます。

南北朝あるいは吉野朝に関しては深い見識などなく、勉強しながらの議論ですので
時にトンチンカンな記述があるかもしれませんが
その際には、ご指摘いただけると幸いです。

・・・・・

まず、室町幕府についてですが
名無しの権兵衛さんからいただいた >>755 のコメント
>質問です!!針原さんは室町幕府も認めているのですか?
との御質問からは、名無しの権兵衛さんは室町幕府を認めておられないように拝察しますが
たとえば、戦時中の昭和18年に書かれた国民学校初等科の国史の教科書にも
室町幕府について、ちゃんと記述されています。

もっとも、幕府を開いたのは、足利尊氏ではなく
南北朝合一の後に第百代 後小松天皇によって征夷大将軍に任ぜられた足利義満が
幕府を開いたということになっていますけれども
室町幕府の存在自体は否定されていません。

その箇所を抜粋すると、以下の通りです。

「(足利義満は)後亀山天皇におわびして、京都へお帰りくださるよう、ひたすらお願い申しあげました。
天皇は、義満の願いをお聞きとどけになって、めでたく京都に還幸あらせられ、
まもなく、御位を第百代 後小松天皇におゆずりになりました。
紀元二千五十二年、元中九年のことであります。
義満は、朝廷にお仕えして征夷大将軍に任じられ、京都の室町に幕府を開きました。」
(三浦小太郎解説『〔復刻版〕初等科国史』p102)

このように、南朝を正統とする立場であっても
少なくとも南北朝合一以降は室町幕府の存在を認めている以上、
もし「足利憎し」で室町幕府の存在そのものを全否定なさっているのだとするならば
それは如何なものかと思います。

・・・・・

そして北朝に対する認識について
>>762 のコメントに
>針原さんは北朝も正統だという考えなんですね。
とありますが
>>759 で、私は北朝の歴代天皇を「正統ではないけれどもニセモノでもない」
つまり北朝は「正統ではない」と明記しています。
しかしながら「ニセモノでもない」というのが私の認識です。

そもそも、南北朝正閏論は、どちらか一方を正統と決めるだけであって
他方をニセモノとして排除するものではないものと理解しています。

正閏論の「閏」という文字は
4年に1度の「閏年(うるうどし)」という言葉に用いられますが
これは「余りもの」を意味する文字なのだそうです。

閏年における2月29日を「閏日」といいますが
通常1年365日のところ、2月29日はその365日に含まれていない「余りもの」です。

では、2月29日という日は、本来存在すべきではないニセモノの日かといえば
そんなことはなく、2月29日もれっきとした1日です。

同様に、北朝の天皇も、正統な天皇ではないとされているものの
けっしてニセモノではなく、れっきとした天皇だというのが私の認識です。

・・・・・

そして、北朝は南北朝合一以降一貫してそのような「余りもの」扱いだったわけではなく
逆に、長らく北朝こそが正統とされていました。
そもそも現在に続く皇統は北朝の系統だということもあって
北朝を正統とするのが自然な流れだったのでしょうね。

その後、南朝正統論を奉じる維新志士たちが政権の座についた明治時代になっても
ガラッと南朝正統論に転換したわけではなく
冒頭の写真のように(ちょっと見づらいですが)
国史の教科書にも、南朝と北朝とが併記されていました。

ところが、明治44(1911)年に
万世一系の観点から「両統の並立を認めるべきではない」という声があがって
この問題が帝国議会で与野党間の政治問題にまで発展してしまい
最終的に、南朝を正統とすることで決着が図られました。

臣下の分際で天皇の正統性を政争の具にすること自体、不敬極まりないと思うのですが
ともあれ、南朝が正式に正統とされたのはこれ以降であって
皇室の長い歴史からすれば、ごく最近のことといえるでしょう。

・・・・・

そして、そんなふうに
「天皇は万世一系であるべきなのだから、これまでもずっと一系だったことにしよう」
という姿勢が適切なものかといえば、私はけっしてそうは思いません。

不愉快な喩えで恐縮ですが、それこそ
「こうであったと信じたい」という願望を、「こうであった」という「史実」ということにしてしまう
某近隣諸国と同じ姿勢といえるのではないでしょうか。

「〇〇であるべき or 〇〇であるべきではない」というのと
「〇〇であった or 〇〇ではなかった」というのとは
あくまでも分けて考えるべきです。

>天皇が日本に二人同時にいるのはおかしいと思います。
というのは、まさにおっしゃる通りで
天皇はわが国にただお一人で「あるべき」です。

とはいえ、過去に、ともに天皇を戴く南朝と北朝という二つの勢力が「あった」のは
今さら変えることなどできない、まぎれもない歴史的事実です。

「歴史は国民の物語である」なんてことも言われますけれども
だからといって、たしかに存在した歴史的事実を「なかったことにしよう」というのは
某近隣諸国がさかんに行っている「歴史の改竄」にほかならないのではないでしょうか。

以上から、私見としては
北朝の歴代天皇も、正統の天皇ではないにせよ、まぎれもなく天皇であるのに違いはなく
かつて日本に二人の天皇が存在する時代があったことは認めるべきではなかろうかと考えます。



[763] 針原様、名無し(同じ人?)様

投稿者: 伊那 投稿日:2019年11月20日(水)17時49分35秒   通報   返信・引用   編集済

>>758
針原様、

なるほど。「国家元首かそれに順ずる記載が無い以上国家元首とは認められない」と書いたのは自身でした
確かにそれは国家元首がおこなう儀礼として国際的に認められてますし、憲法にも明記されています
オランダは「政府」、スペインは「国家元首」、イギリスは「神聖不可侵」ないし現代ではやはり「政府」
そして我が国は国家元首がおこなう重要な儀式の一つ、つまりは「実務」というわけですね
そこは盲点でした。テレビに出ている保守の人も、これくらいの論陣を張りなさいよ、と言いたいですね

まあ『チャンネル桜』以外の人はビジネス保守・ビジネス右翼でしょうから薄っぺらいんでしょうけど

『日本國憲法』を変えなければいけないという思いは持っておられるようで安心しました
ただ、自分的にはそもそも殆どの人が守れない『日本國憲法』自体破綻しているので無効と思っていますが

>>756 >>759 >>762
針原様、いつもの人?様

自分はご都合伝統主義は好きではありません。が、それは置いておくとして
概ね 針原様 と自分は南北朝問題については同じ見解です

>>762さんは根本的に南北朝について勘違いしています
それは「朝廷対武家」「保守対革新」という構図です

まず「朝廷対武家」、これは大きな間違いで正確には「後醍醐天皇派対反後醍醐天皇派」という事です
よく南北朝の対立のみがピックアップされますが、そもそも鎌倉幕府の倒幕理由が根本原因です

そもそも『後醍醐天皇様』は正統な帝であらせられますが、ある意味「中継ぎの天皇」でした
当時の朝廷は『持明院統』と『大覚寺統』に別れていて、そもそもその段階で既に朝廷は一枚岩ではない
ちなみに力関係は、荘園の数等から『大覚寺統』の方が勢力が強いです

さて、当時の皇位は『持明院統』と『大覚寺統』が交代々々で皇位に即位なさられていました
『後醍醐天皇様』は、先代の持明院統『花園天皇』が22歳で退位なさられて上皇となった後を受けて
急遽皇位に即位しました

元々は交代々々で皇位を運用していましたが、後醍醐天皇様の実兄『後二條天皇』が若くして崩御しました
そこで花園天皇が12歳で即位しました。

ただ『大覚寺統』で当時の随一の権力者にして 後醍醐天皇様 の実父『後宇多天皇』は
『持明院統』の長期政権は好ましくないとして、ある程度の即位年数を経たところで
大宰帥に任官していた『後醍醐天皇様』に白羽の矢が立ったのです

この即位にあたって、あくまで 後醍醐天皇様 は一代限りの中継ぎの天皇、正統な『大覚寺統』の嫡流は
実兄『後二條天皇』の息子である『邦良親王』であり、邦良親王を皇太子として立てる事が条件でした
いわば「後二條流」に子々孫々受け継がせる為に犠牲となれ、という事です
そしてこの事は、後宇多天皇の『大覚寺統』・伏見天皇(後伏見天皇・花園天皇の父)の『持明院統』両統の意思でした

したがって 後醍醐天皇様 は中継ぎであり、なおかつ大覚寺統の頭領ですらありませんでした(『増鏡』等)
ですから自らの皇子を即位させる為には「朝廷の伝統」を大きく変更するしかなく
同時にそれは通常の関白を中心とした政治も含めて改めざるを得なかったのです
つまり天皇の親政、朝廷の守旧派の利権の否定が大動乱の要因の一つになりました
以上から、わが子可愛さとはいえ如何に 後醍醐天皇 稀代の改革者だったか? が良く解かります

また「明徳の和約」の締結時、『後小松天皇』を始めとする上級公家は『後村上天皇』も『不登極帝』という
扱いにするようにとの声が非常に多かった事からも
南朝が如何に朝廷全般から全く好まれていなかったかがよく解かります
むしろ『足利 義満』は朝廷を説得してなだめる役目をしていた程です

以上の経緯から結論を言うと、『後醍醐天皇様』は三種の神器を受け継ぎ即位の礼もなされた正統な天皇です
また『後村上天皇』は当時から、『長慶天皇』『後亀山天皇』も維新後正統とされました
ですがその理由は、「三種の神器」を保有した上で「即位の礼」を行っているからというのが主な理由です

「血筋びいきで北朝も天皇にしたが、逆賊は許せないという基準も大切なので無理やり」という説もあります
ですが、それならば南朝全般を正統としても問題ありません。現に南朝は滅んで現体制に影響ないのですから

ところが「明徳の和約」を区切って、所謂「後南朝」を正統としなかった合理的な理由は
「三種の神器を受け継いだ上での即位の礼」というだけの事以外考えられません

南朝流は「正統」ではあります。が、皇家皇室の観点で見た場合祖父や父母の意志を踏みにじった
『三種の神器の強奪者』という認識以外、当時の陛下方も持ちようがなかったのではないでしょうか?

ですから、概ね 針原様 の認識通りで問題はないと思いますよ




[762] Re: 室町幕府について

投稿者: 名無しの権兵衛 投稿日:2019年11月19日(火)19時07分21秒   通報   返信・引用

針原さんは北朝も正統だという考えなんですね。だけど天皇が日本に二人同時にいるのはおかしいと思います。針原さんも伊那さんもそこはおりあいをつけてるんですか?保守の朝廷と革新の尊氏と対立して天皇陛下を弾圧して京都から追放したんですよね?



[761] 針原様、すみません。取り急ぎ訂正を

投稿者: 伊那 投稿日:2019年11月18日(月)20時26分25秒   通報   返信・引用   編集済 > No.758[元記事へ]

アルマン・ファリエール仏大統領はご存知と思います。『ハーグ密使事件』にも遭遇した大統領です
彼は明治39年にも我が国の不法を訴える書状を受け取っていますが、後に回想録にて
「我が国の偉大な哲学者ヴォルテールはかつて神聖ローマ帝国を「サントでもなければローマでもなく」」
「「ましてやアンピエ(帝国)でもない」と語ったが、コレアンは身の丈を考えず「グランド」を使用している」
「ジャポンならまだしも。私は改めてヴォルテールの気持ちが理解できた」
と語っています

1.正確には国際的な正式な承認ではなく、誰が見ても聞いても恥ずかしくない品格のような物という意味です
極端な話「あの国、大なんかつけちゃって恥ずかしいね」と言われるか? 言われないか? という意味です

2.『大日本帝國』は正式には『日本帝國』でした。確かに『大清帝國』や『中華民國』『大韓帝國』には
『大日本帝國』を使用していましたが、あくまで国際的な表記、国際舞台での正式な国名に我が国は
昭和10年まで『大日本帝國』『Great Japanese Empire』を使用した事はありませんでした
大を使用していたのは革命前の『大清帝國』と『大英帝國』の二カ国だけですね

お詫びして訂正します

それと、私は自分では「ネトウヨ」を自負してますw

「安濃豊氏」と一悶着あったのには驚きました。You tubeを以前拝見しましたが
正直、針原さん が 安濃さん と繋がりを持つべきではないし、縁が切れて良かったと思っています
あまりにも特殊で内容が難解すぎて6月ごろに観て以降拝見していないんですよね

こういう事は言いたくありませんが、なるべく余分な者には寄り付かれないようにしてください
まあ自分が言えた義理ではありませんが(苦笑



[760] 議論はケンカではない

投稿者: 針原崇志 投稿日:2019年11月17日(日)23時25分19秒   通報   返信・引用

三連投失礼します。

動画「日本統治時代の朝鮮の教科書」の閲覧回数やコメントが増えたのはありがたいのですが
それに伴って、おかしなのも現れます。
先日、JH Yooさんという方から、次のようなコメントをいただきました。

>私のコメントを削除する理由は何ですか?反論をしてみろ。
>ネット右翼さん、
教科は日本語に偏っていて、日本語以外の科目は、受信と算数、朝鮮語程度に過ぎず、植民地統治に順応して、植民地工業化に必要な低級労働力を養成することを目的とした。朝鮮語の授業時間以外朝鮮語の使用は厳しく禁止されており、体罰をした。19世紀末の朝鮮人の70%に達した朝鮮の両班(男女)は、すべてのハングルと漢字を使用し、朝鮮の文盲率は、世界で最も低かった(日本はほぼ最低レベル)。朝鮮語教育をした理由は、日本の強圧的な植民地統治に問題を提起した米国と欧州に見せるためのショーに過ぎなかった。
歴史を捏造していない。

文中に「受信と算数」とありますが、これは「修身と算数」のことだと思います。
ハングルでは「受信」と「修身」は同じ表記なので
自動翻訳ではこのように訳されてしまうのです。
そして
>19世紀末の朝鮮人の70%に達した朝鮮の両班(男女)は、すべてのハングルと漢字を使用し、朝鮮の文盲率は、世界で最も低かった
というファンタジーな歴史認識や、日本語としては不自然な文章にかんがみても
おそらくこの方は韓国の方だと思います。が、そこは気付かなかったフリをして
正直、ちゃんとした議論のできる相手とは思えなかったので
次のように、理由を添えて丁重にお断りしました。

―――――――――――

私は、本名で活動しています。
なので、このような動画にせよ、書く文章にせよ
おかしなところがあれば、本名でネット上に恥をさらすことになります。
その覚悟をもって、常に真剣勝負をしているつもりです。

その私に戦いを挑もうというのに、貴方は匿名のまま。
逃げようと思えば簡単に逃げられますし、ネット上で恥をさらしてもリアルの貴方は無傷のまま。
私から見れば、貴方は、本名でネット上に恥をさらす覚悟のない腑抜けです。

・・・・・

本名で活動する理由はもう一つ、
粗暴な言葉づかいをしないよう、みずからを戒めるためです。

私は、たとえ思想的には正反対であっても、節度のある方であれば
こちらも相手に敬意を払い、真摯に対応しています。
建設的な議論は、私にとっても相手にとっても実のあるものになるからです。
そして、私が誤っていれば、いさぎよく負けを認める覚悟もあります。

その点、貴方は面識もない私に対して
「反論をしてみろ」などと上から目線の命令口調。
貴方は何様のつもりですか。

そのように、議論とケンカの区別もつかない輩というのは
いくら言い負かされても、潔く負けを認めることなく
論点をすり替え、あるいは本筋から外れた重箱の隅をつついたような落ち度を指摘して
相手が根負けするまでダラダラとストーカーのように鬱陶しくまとわりついてくるものです。
そのような輩を相手にしても、私にとって何のメリットもなく、時間と労力の無駄です。

・・・・・

そんなふうに、匿名を隠れ蓑にして粗暴な言葉づかいで敵を攻撃する、
それは、ネット右翼=ネトウヨも同じです。
なので、私はネトウヨを軽蔑しています。

以前、「パブロフのネトウヨを嗤(わら)う」や「ネトウヨよ、安重根の精神を見習え」など
ネトウヨの愚かしい言動を非難する文章をいくつか書き
私が所属する保守団体のホームページに載せています。
むろん、ネトウヨ連中との覚悟の違いを示す意味で、この動画と同様、本名で載せています。
「針原崇志 パブロフのネトウヨを嗤(わら)う」あるいは
「針原崇志 ネトウヨよ、安重根の精神を見習え」で検索していただければご覧いただけます。

そのように、ちょっと調べれば
「針原崇志」なる人間がネトウヨとは一線を画す者であることが簡単に分かるにもかかわらず
これから戦いを挑もうとする相手についてろくに調べもしない軽率さ、
そして情報収集能力のなさ、
「このような動画を作るのはネトウヨに違いない」と単純に決めつけてしまう短絡思考、
つまり、貴方は愚かだということです。

・・・・・

以上を要するに
貴方は、議論とケンカの区別もついていない粗暴にして愚かな腑抜けにすぎず
私がわざわざ相手をする価値のない、くだらない人間であると判断いたしました。
したがって、貴方の相手をするつもりは毛頭ありません。
「うまく言い逃れをして勝負から逃げやがった」と自己満足に浸りたければ、どうぞご自由に。
(以下略)

―――――――――――

誤解のないよう申し上げておきますが
ここにコメントされるみなさんに「本名をさらせ」というつもりはありません。
それぞれ御事情もおありでしょうから、匿名で一向にかまいません。

それはさておき
これは「ケンカ」の一例です。
私は、みずから進んで他人にケンカをしかけるつもりは全くありませんが
敵意をむき出しに向かって来る相手に対しては
敬意を払わず、人格攻撃も厭わず、容赦なく叩きます。
降りかかる火の粉を払うためのケンカならば、それでかまわないと思っています。

以前、当会の活動を揶揄する動画をyoutubeに載せていた輩とやりあったこともあります。
その方への反論も兼ねて、そのやりとりを書いた『安濃豊氏とひと悶着ありました』は
当会のメンバーから大好評の自信作なので(笑)
気が向いたら御笑覧いただければと存じます。
http://www.nipponwomamorukai.jp/syutyou/harihara_takayuki/annouyutaka.html

・・・・・

一方、議論というのはそのようなものではありません。
考え方の違う者同士が、互いに持論を出し合い、切磋琢磨して真理を追究していく、
議論とはそのようなものであると考えます。

この掲示板では、左翼でも大歓迎というスタンスでやっていますが
それというのも、同じ考えの人間だけが集まって和気あいあいとやっていたのでは
そこで思考停止してしまいかねないので
それよりはむしろ、違う考えを持った方から鋭いツッコミを入れてもらうことで
持論をより深化させるのに資すると考えるからです。

とはいえ、考えの違う相手とのやりとりでは
どうしても我を忘れてヒートアップしがちなので
あくまでも「節度さえ守っていれば」という条件を設けています。
なので、節度のない輩は、保守思想の人間であっても排除しています。

その点、名無しの権兵衛さんと伊那さんとのやりとりを見ていると
時折、ちょっとヒートアップしすぎかなと懸念することがあります。

そして、そのように殺伐とした雰囲気では、他にコメントをしたい方も
「ヘタすると、自分も標的にされてしまうんじゃないか」と懸念して
コメントを書くに書けないということにもなりかねません。

第一、議論で感情的になってしまえば、それこそ相手の思う壺で
底の浅さを見透かされ、相手に侮られて、付け入る隙を与えてしまうことにもなります。
なので、感情を抑える練習も兼ねているものと思って
どうぞ相手への敬意を忘れず、感情的にならずに、冷静な議論を心がけていただきますよう
ご協力のほど、よろしくお願いいたします。



[759] 室町幕府について

投稿者: 針原崇志 投稿日:2019年11月17日(日)23時24分27秒   通報   返信・引用

名無しの権兵衛さん、こんばんは。
いつもコメントをいただき、ありがとうございます。

深く考えずに書いたところから思いがけないご質問をいただき戸惑っていますが
南北朝の正閏論については、まともな議論をできるほどの見識を持ち合わせていないので
一方的に名無しの権兵衛さんの教えを乞う形になるかと思いますが、よろしくお願いします。

足利尊氏は、けっして勝手に征夷大将軍を名乗っていたわけではなく
北朝の光明天皇によって征夷大将軍に任ぜられ、幕府をひらいたのですよね。

後に南朝が正統であって、北朝は正統ではないという扱いになりますけれども
それによって北朝の歴代天皇がニセモノとして排除されたわけではなく
正統ではないけれどもニセモノでもない、
つまり依然として本物の天皇であることに変わりはありません。
なので今でも「光明天皇」と称されています。

本物の天皇に任ぜられて、征夷大将軍として幕府を開いた以上
認める、認めないというものではなく
室町幕府の存在は厳然たる歴史的事実だと単純に思っているのですが
そのようなものではないのでしょうか?
あるいは、論点がズレているのでしょうか?

御教授のほど、よろしくお願いします。



[758] 現憲法における天皇について

投稿者: 針原崇志 投稿日:2019年11月17日(日)23時22分48秒   通報   返信・引用

伊那さん、こんばんは。

いただいた返信の中で、ちょっと気になったのですが
国号に「大」を付けるのに国際的な承認など必要だったのでしょうか?
私は、名乗りたければ勝手に名乗れるものだと思っていました。
でないと、大韓帝国や大韓民国が「大」・・・(以下、自主規制)
もっとも、議論の本筋とは関わりのない事柄なので、あえて議論を深めるつもりはありませんが
興味深いお話ですので、もしよかったら、八幡和郎さんという方の見解など御教授いただけると幸いです。

・・・・・

本題ですが
まず、スペイン憲法の条文は、「元首」と「象徴」とが併記されているおもしろい実例として
この両者が相矛盾するもの、相容れないものではないことを分かりやすく説明するために掲げただけであって
このように両方とも明記しなければ無理が生じる、両立しえないなんてことはありません。

たとえば、比較憲法学的には、元首の指標、難しい言葉でメルクマールなんて言ったりもしますが
「この権限を有する者が元首だ」という目印のようなものとして、大使・公使の接受があげられます。
現憲法では、天皇の国事行為の一つとして第7条第9号に規定されている
「外国の大使及び公使を接受すること」がこれに当たります。

いちおう簡単に説明すると
接受というのは、辞書的な意味ではただ単に
【受け取ること。また、受け入れること。「外交文書を接受する」】(goo辞書)とありますが
外国の大使・公使を接受するという場合には
外国から新たに派遣された大使・公使が携えた信任状、つまり
「このたび、この者をわが国を代表する大使として派遣しますので、よろしくお願いします」
という委任状のようなものを、赴任先の国の元首が受け取ることを意味します。

わが国では、信任状奉呈式で知られていますね。
新任の大使・公使が、東京駅から皇居まで
自動車or馬車(選択できるけれども、ほとんど馬車を選ぶとか)で向かい
天皇陛下に拝謁して、信任状を奉呈するというものです。

そのように、相手国の元首宛に発給すべき信任状を、各国が天皇宛に発給しているということは
各国(あの韓国さえも)が天皇をわが国の元首として認めていることを意味し
憲法上、その信任状を受け取るのが天皇の権限と規定されているということは
現憲法においても、わが国の元首は天皇だと定められているのに等しいといえるのです。

伊那さんから
「江戸時代には徳川将軍が接受を行っていたじゃないか」
という鋭いツッコミを入れられそうですが(笑)
あくまでも「現在の国際慣習」ということで御了解願います。

そして、この接受というのは、ただ信任状を受け取るというだけの行為であって
権力的な権限というよりは
その国の顔役、つまりその国を象徴する人物としての役割といえるものです。

そのように、その国の象徴としての役割である大使・公使の接受が
その国の元首であることの目印になっているわけです。
ということは、元首すなわち象徴であり、象徴すなわち元首であるといえるのです。

にもかかわらず
「天皇は元首から象徴になった」とか
「天皇は象徴であって元首ではない」とか
天皇を元首と認めたくない左翼学者が垂れ流している
トンチンカンな謬説がまかり通っているから話がややこしくなってしまいますけれども
現憲法においても、象徴とされている天皇こそ、まぎれもなく元首だといえるのです。

そう考えれば、天皇を象徴とする規定も
けっしてあやふやなもの、単なる情緒的なものではないといえるのではなかろうか、
というのが私の見解です。

・・・・・

一方
>『大日本帝國憲法』は日本の文化で見れば確かに異質だったでしょう、が
>だからこそ我が国は一流国家と呼ぶに相応しい地位を築きあげた事も事実です
との御意見については、全くそのとおりだと思います。

たしかに「異質」という言葉は用いましたが
だから帝国憲法はダメな憲法だ、などと評価するつもりは全くありません。
むしろ現憲法に比べれば、はるかに独立国家たるにふさわしい立派な憲法であると評価しています。

そして、新しい憲法をつくるのであれば
それは現憲法を基調としたものではなく、帝国憲法を基調としたものであるべきだと考えており
その一環として『憲法三原則の呪縛を断つ』を書いた次第です。

とりわけ、伊那さんも以前お書きになっていますが
>日本国民の総意に基づくという事は、総意で廃される程度のものという事でもあります
という点は、私も同じく懸念するところです。

いま手元にある芦部信喜著(高橋和之補訂)『憲法(第六版)』を見ても
全部で18章もある中で、天皇については独立の章すら設けられておらず
「第三章 国民主権の原理」の中の第三節に「天皇制」がちょこっと書かれているだけです。
いかにも天皇が盲腸的な存在であって
「主権者である国民が廃止しようと思えば簡単に廃止できます」と言わんばかりの扱いです。
こんなものが、憲法学におけるバイブル的存在になっているのです。

そんな現憲法は一刻も早く抜本的に改正すべきと考えますが
とはいえ、現状、現憲法がわが国の憲法として機能している以上
その中でも、天皇の存在を確固たるものとして位置づける必要があると考えています。

「天皇は元首ではなく象徴にすぎない」という主張があれば、上に書いたように
「天皇は象徴だから元首なんですよ」と反論し
「天皇は形式的・儀礼的な存在でしかない」と軽んじるのであれば
「形式的・儀礼的な存在って実は重要なんですよ」と反論するなど
ともすれば天皇を軽視し「天皇制廃止」に向かおうとする勢力に対抗して
現憲法の中でも天皇を守り続けることが大事ではなかろうか、というのが私の考えです。

これまで書いてきたのも、そうした一環として書いたものであって
けっして現憲法を賞賛しているわけではないことを御理解いただければと存じます。


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