日本をまもる会 掲示板

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カテゴリ:[ その他 ] キーワード: 日本 政治 愛国


657件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[780] Re: (無題)2

投稿者: 伊那 投稿日:2020年 1月 5日(日)10時09分31秒   通報   返信・引用   編集済 > No.777[元記事へ]

以上が自分の伝統に対する価値観です

その上で、『初詣や二礼二拍手一礼』というのは明治時代からの文化と言われています

1.
『初詣』の発祥は明治五年の東海道線開通による川崎大師への正月参詣から始まったとされます

だが昨今のこの議論について、新しい物だと主張している人達は明確な定義付けを行っていません
どういう事か? と言いますと、「初詣は新しい物だ!!」
それは「初詣という言葉が新しい物」なのか? 「遠方への正月参詣が新しい物」なのか?
それとも「元日に神に祈る行為が新しい物」なのか?

言葉であった場合は「明治時代」からの文化である事は間違いありません
「遠方への正月参詣」であっても同様です
ところが「元日に神に祈る行為」については、まぎれもなくかなり古くから続いていると言えます
江戸時代には「恵方参り」や「産土神」へお参りする事は行われていましたし
『八坂社』や『伏見稲荷大社』を除いて庶民が神社に立ち入れなかった時代においても
公家の日記には元日に神に祈った後、信仰する神社に参拝したとあります
武家の場合は当然八幡宮関係ですね

2.
『二礼二拍手一礼』については、明治時代に制度化されました

明治八年、式部寮からの布告『神社祭式』から始まり
『明治天皇様』が、明治四十年『神社祭式行事作法』を定めて制度化されました

さて、これらを見て、昨今やたらと「伝統ではない」と否定している人達には共通項が見えてきます
それは左翼の主流をなしている『マルクスの資本論』も読んだ事がない
「なんちゃって左翼」の主流をなしている自称市民派や野党支持者に多いこと
そして、ともにそれが明治時代を標的にしている事です

『日清・日露』の大戦に勝利した『大日本帝國』の栄光の時代
彼等には、おそらくその存在自体をこの世から消し去りたい、ただそれだけの事なのでしょう
そして保守同様、『伝統』という錦の御旗をふりかざして弾圧行為を繰り返しているのです

だが良く考えてください、伝統という定義は何か? いつの時代から伝統と言えるのか?
明確に答えられる人が居るのでしょうか? それに明治時代以降は伝統ではないのか? とも言えます

明治時代以降が伝統ではないと言うのなら、「明治創業の老舗」という言葉も不適切と言えます
また明治時代の建築物について、重要文化財に指定せずに壊す計画が立った場合
真っ先に「伝統を破壊する行為だ」と反対する人達は、「伝統ではない」と主張していた人達でしょう

針原さんのところの石川県でも『石川四高記念文化交流館』という赤レンガ造りの立派な
国指定の重要文化財の建物があります
これを県が取り壊して新しい立派な建物を建てる計画が持ち上がった場合誰が反対すると思います?
当然『立民系』や『共産系』である事には間違いないでしょう
しかも丁寧に説明しても、「お前は文化を破壊する気か」だの「伝統を破壊する気か」だの議論を封殺した上で

これらが伝統でないのなら普通の建物のはずで、好きなだけ壊しても良いはずですし
そもそも文化財に指定する事もないはずです


また『伝統』という定義についても考える必要があります
例えばいつから続けば『伝統』なのか? 『明治から』が伝統でないのならば『江戸から』は良いのか?
それを言うのならば、『室町戦国』の時代があり「狩衣」の服装とかがより『伝統』のはず
『室町戦国』と言うのならば、『鎌倉時代』の方がもっと『伝統』ですし
『平安時代』はどうなるのか? 『奈良時代』を忘れてもらっては困りますし
いやいや『古墳飛鳥時代』もありますよ? って事になります

『明治元年』から実に152年、それが『伝統』と言えないのならば明確に定義づけるべきですね
言論弾圧の為に『伝統』等と言う馬鹿げた黄門の印籠を振りかざす事はやめて




[779] Re: (無題)1

投稿者: 伊那 投稿日:2020年 1月 4日(土)08時50分3秒   通報   返信・引用   編集済 > No.777[元記事へ]

どう思うか? と言われると馬鹿馬鹿しい、と思いますね

保守右派はやたらと伝統とうるさいですが、結局左派も伝統という言論弾圧を利用しているだけです

その代表例が世界遺産候補時の『沖ノ島』の時の議論です
女人禁制が女性蔑視と言われて、「時代と共に変わっていく伝統と言う物もあるんです」
等と発言するバカな女性評論家も居ました

それを言うのならば、今の都心のオフィスビル群も伝統的な物と言えなくもないですよね?
変わり行くものが伝統であるのならば、昔ながらの建物から変わって行っているのですから

今まで伝統という名の下にどれだけの言論弾圧が行われたか考えた事があるのだろうか?
伝統芸能を生業としている人がやたらと左翼的政治的発言という名の庶民への押し付けをおこない
伝統の担い手という肩書きを利用する事が当たり前であるかのような風潮が蔓延していました

このように人は「伝統を軽んじる行為はけしからん」というお題目で利用していました

このバカな女性評論家も、過去に維新府政について「伝統を守る事が大切」だの
「これで良いと言う訳ではありません。昔からのしきたりとかをキチンと守ってきた」だの
「こういう文化の担い手を保護し、昔から伝わった伝統を継承させていくのが行政の役割」だの
発言してきており、「文化人が危惧を抱いている現在の政治状況云々」などともほざいてました

ところがこと女性蔑視だのになると、時代と共に変わる伝統があるとか二重基準を持ち出す
変わりゆく伝統というものを認めれば、それは『ご都合伝統主義』として利用され
言論弾圧・思想弾圧に使用されている事を一般庶民はきちんと認識しなければいけません

そして何故保守も左翼も伝統を大切にするのか? をきちんと考えなければいけません
彼らの究極の目標は『独裁と弾圧』であって、そのお題目や錦の御旗を残したいからにすぎません
『女性蔑視の禁止、ヘイト禁止、LGBTへの差別の禁止』、それらとも共通しており
これらの錦の御旗を振りかざしさえすれば、例え殺人を犯しても許される
それが現在の日本国であると認識する必要があります

全ての行為はただの物事の事象にすぎず、そこには神聖さもなにもありません
この世界、この世のあらゆる可能性を潰そうとする便利な言葉というのは害悪ですらあります



[778] あけましておめでとうございます

投稿者: 針原崇志 投稿日:2020年 1月 3日(金)22時59分54秒   通報   返信・引用

昨年は、みなさんからいただいた御質問、御意見をきっかけに
頭をフル稼働させて(笑)勉強させていただくことができました。
本年も、お手柔らかに、どうぞよろしくお願いいたします。

・・・・・

大晦日、「ゆく年くる年」でおなじみの
永平寺の除夜の鐘を実際に聴いてみようと思い、永平寺に行ってきました。
永平寺にはドライブがてらたまに出かけているのですが
夜に訪れたのは今回が初めてです。

時折雪がちらつく中を1時間待った末に
特別な時にしか開かれない「唐門」を通らせていただき
普段はもう就寝しているであろう雲水(=修行僧)の方々が
一人ずつ、一突き一突き
丁寧に作法に則って鐘を突いているのを拝見しながらその音を聴けば
やはり感慨深いものがありました。

ですが、その鐘の音も
聴く人が聴けば単なる「騒音」にしか聴こえないようで
「除夜の鐘、うるせえよ!」という身勝手なイチャモンのせいで
除夜の鐘が中止に追い込まれる事態が各地で発生しているのだとか。

そんな「ノイジーマイノリティ」のワガママに屈しないためには
「サイレントマジョリティ」の側としても
「マジョリティ」であることにあぐらをかいて
「サイレント」であってはならないのであって
「当たり前」と思っていることであっても
「なぜ、それが当たり前なのか」ということをしっかり考えて
わが国の伝統文化を破壊したがる連中に対抗して
積極体に主張していかなければいけないのでしょうね。

・・・などということを
「唐門」が開門するまでの待ち時間に考えていました。



[777] (無題)

投稿者: 火の本乙女 投稿日:2020年 1月 3日(金)13時27分31秒   通報   返信・引用

正月だから正月ネタなんですが、初詣とか二礼二拍手一礼は新しい物だと言われてますがどう思いますか?それとゴーンさんがレバノンに逃亡してびっくりしました。どうやって逃亡したんだろ?



[776] (無題)

投稿者: 大村 万集 投稿日:2020年 1月 2日(木)13時51分20秒   通報   返信・引用

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

令和の時代となり、日本と世界が良い方向に向かうよう願っています。

皆様にとっても良い一年となりますように。




[775] 明けましておめでとう御座います

投稿者: 伊那 投稿日:2020年 1月 1日(水)09時06分17秒   通報   返信・引用

旧年中はお世話になりました

本年は皇紀2,680年、庚子の年
我が国では関ヶ原の戦いも庚子の年であり、旧年同様なにやら騒がしくなりそうです

本年もいろいろとお騒がせすることにもなると思いますが
どうぞよろしくお願いいたします



[774] 新年

投稿者: 火の本乙女 投稿日:2020年 1月 1日(水)00時00分41秒   通報   返信・引用

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。



[773] 離散集合を繰り返すだけの烏合の集団

投稿者: 名無しの権兵衛 投稿日:2019年12月20日(金)17時47分46秒   通報   返信・引用

結局元民主党の残党が離れたりくっ付いたりしているだけで、政策も目標も無い只の野合の集団
で選挙に当選するためだけに行動している無責任な輩ばかりですね。

立憲民主党の枝野幸男代表は19日のBSテレ東の番組収録で、国民民主党や社民党などに呼
びかけた政党合流をめぐり、年内に基本合意すべきだとの認識を示した。「政治的方向性は年内
に結論を出さないといけない」と述べた。
 一方、立民の福山哲郎、国民の平野博文両幹事長も同日、国会内で合流に向けた実務的な協議
を始めた。社民党も同日、国会内で党会合を開き、年明けにも合流に向けた中間的意見を集約することを確認した。
呆れて開いた口が閉まらない。能なしが集まっているので、政策論争が出来ないので、上げ足取りが一番の仕事になっている。



[772] Re: 火の本乙女様、針原様

投稿者: 伊那 投稿日:2019年12月13日(金)12時20分11秒   通報   返信・引用 > No.771[元記事へ]

光格天皇様を知らないと・・・・・・・・良いでしょう

『光格天皇様』とは『明治天皇様』の曽祖父にあたる御方です
庶流からは英雄が出やすいと言いますが、やはり例に漏れず『慶光天皇様』の第六王子
母親は大変僭越ながら高貴な血筋ではありませんでした

そこは選ばれた血族の『後三条天皇様』やそれなりの血筋だった『後醍醐天皇様』とは違いますね
ちなみに『慶光天皇様』とは『光格天皇様』の実の父親であり『閑院宮典仁親王様』の事です

さて、『光格天皇様』を巡る主要な出来事と言うと

1.『尊号一件』

『光格天皇様』は、幕府が一方的に押し付けた『公家諸法度』の条文の中で
「実の父」の格が摂関家より下である事に御不信を抱いていたため、『太上天皇号』を独断で贈ります
ところがこれにあろう事か、たかが将軍の臣下にしか過ぎない似非儒者松平定信が禁止します
当時幕府では「徳川家斉」が実の父に「大御所号」を贈るかどうかで紛糾していた事からの判断だと思われます
これが大騒動になって結果宮家への大幅な待遇改善を勝ち取りました。寛政四年(1792)の事です

2.『天明飢饉』
『尊号一件』において、なぜ『光格天皇様』がなぜここまで強気の態度を示す事が出来たのか?
それは『天明飢饉』における幕府の失態と『光格天皇様』の民への御慈悲を示す大御心を示された結果でした

天明七年(1787)六月七日、重大な出来事が起きました。それが民衆の『御所御千度参』です
南門の塀の垣根から銭を投げ入れさながら神に祈るように紫宸殿に向かって祈っていました
この始まりの日は五十人程だった人数がピークには七万人にも達し、『伊勢参り』よりも賑わっていたそうです

『後桜町天皇様』(上皇)は三万個のリンゴを配布し
隣接する 有栖川宮家・一条家・九条家・鷹司家 は茶や握り飯を配り
周囲の溝に冷たい湧き水を流して手や顔を洗えるようにしたそうです

願いの殆どは「飢渇困窮につき祈誓」「米穀不自由につき」「米穀段々高値になり」とあり
如何に幕府が無策であったか? をうかがい知る事が出来ます
五月は、大坂の町民が数十軒の米穀商人の家を襲った他、堺、播磨、紀伊にも広がり
江戸ですら十九日から五日間、江戸で数百人がが鉦や太鼓を打ち鳴らし竹槍で武装する等騒動が起こりました
そして進退窮まった結果が『御所御千度参』です

『光格天皇様』は賑給(古代の朝廷が毎年5月に全国の貧窮民に米や塩を賜った儀式)などはできないか?
関東から救い米を差し出して貧窮を救うことはできないかという
京都所司代に対して異例の窮民救済の申し入れという要求をおこない、なんと幕府はその要求に応えました

同年十一月の大嘗祭には次の御製をお詠みになり、それが世上に流布し、評判となりました

身のかひは 何を祈らず 朝な夕な 民安かれと 思うばかりぞ

個人的にはこの天明七年(1787)六月七日こそ、皇室の栄光、否『天皇の栄光』の始まりであり
幕府政治の終焉であったと思っております

3.『文化露寇』

これはもうお分かりですね。文化三年(1806)、ロシア軍艦が日本に対して攻撃を行った事件です
寛政五年(1793)の松前での交渉により、通商の約束を取り交わしたが
この約束について、「ロシアと戦っても武士は遅れを取らない」という老中『土井利厚』の言を鵜呑みにし
幕府側が反故した事により激怒し、樺太・利尻島を攻撃した事件です。幕府史上初の対外戦争ですね

『光格天皇様』はこの事態を憂慮し、幕府はロシアとの交渉で物入りであろうと気を使われて
文化十年(1813)に永享四年(1432)以来途絶えていた石清水臨時祭が約380年ぶりに挙行され
翌年十一月には応仁の乱以来途絶えていた加茂神社臨時祭も約350年ぶりに再興されました

この敗戦で幕府の権威は地に落ちてしまい、やむなく朝廷に経緯を報告したため
幕府が外国と条約を結ぶのに勅許が必要であるという根拠になりました

最後に、『光格天皇様』が崩御なされた後、諡号に「天皇」の文字を九百年ぶりに復活させた事でも有名です
日本は長年仏教国であったために、長らく「院」でした



[771] Re: 火の本乙女様、針原様

投稿者: 火の本乙女 投稿日:2019年12月 9日(月)16時17分56秒   通報   返信・引用

あの、伊那さん。光格天皇って殆ど知っている人いませんけど、明治の基礎になるようなそんな凄い人だったんですか?


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